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ろじ[路知]連載:赤米今昔物語 〜赤米に魅せられて〜 第四回

安本 義正

多久頭魂神社の赤米神事

 日本国内で受け継がれていた赤米神事の2例目は、長崎県下県郡厳原町豆酘の多久頭魂神社で行われている赤米神事です。この神社は九州本土から北西約147kmの海上に浮かぶ対馬にあります。対馬は九州本土より韓国の方に近く、日本と大陸との接点として、経済的・歴史文化的にも交流の中継地として重要な役割を果たしてきました。
 多久頭魂神社は対馬の最南端に位置する豆酘というところにあり、対馬の天道山信仰と仏教信仰が習合した神仏習合の歴史を持っています。当神社では、建物だけではなく、今でも神仏習合時代の名残を止めており、赤米神事にもそれがうかがえます。



多久頭魂神社の鳥居

 古代の赤米は、中国大陸、朝鮮半島を経由して対馬に伝わってきたと推測されます。この赤米は岡山県総社市の国司神社の赤米とは種類が異なり、少し丸みがあります。赤米栽培田は8世紀始め頃は「神田」と呼ばれていましたが、中世の仏教と強く結びついて「寺田」と名称が変わりました。今でも多久頭魂神社の赤米田は「寺田」と呼ばれています。
 古くから赤米神事に携わり、祭祀用として栽培し続け、それを保存・伝承している信仰集団がありました。「頭仲間」あるいは「当仲間」と呼ばれていましたが、明治の始めに「頭」は解散され、幾多の変遷の後、9戸の「供僧(くぞう)」と3戸の百姓の12戸によって、赤米神事が受け継がれてきました。「供僧」というのは、神仏習合によって、神に仕える神職と、仏に仕える僧が一体となったもので、そう呼ばれるようになったとされています。神に仕える僧という意味でしょうか。
 多久頭魂神社では年間8回もの一連の赤米神事があります。「田植神事(新6月10日)」「お吊りまし(旧10月17日)」「初穂米(旧10月18日)」「口開き(旧12月18日)」「寺田様の餅つき(旧12月28日)」「ヨマイリ、潮あそび(旧1月2日、5日)」「頭受け神事(旧1月10日)」「種下し(旧4月吉日田植え前45日)」ですが、筆者が見学した赤米田植え神事について説明します。  赤米田の北入口(水口)と南入口に忌竹を立て、注連縄が張られています。水口には茅3本を束ねた上に、ねずみ藻(海草)、赤米飯、おかず(のり、わかめ、キュウリなど)、梅干、コンブ、ヨモギが供えられ、神酒を捧げ、田の神が祀られています。ねずみ藻は子宝の象徴と言われています。南入口の忌竹の前には、忌竹に吊した竹筒に塩水を注ぎ、ねずみ藻を差し込んでいます。



赤米田の水口に供えられた供物

 北入口の忌竹のところで、供僧が数珠を操って経を唱えます。赤米田(仏サマの田)では、代かきが済み次第、次々と赤米の苗が植えられます。田植えが終わると、水路上で関係者、見学者等一同を交えて、直会(なおらい)が催されます。



赤米の田植

 1年間の一連の赤米神事の中で、最大級の荘厳な神事は「頭受け神事」です。赤米耕作当番の引き継ぎと赤米種籾(御神体)引き渡しの荘厳な神事です。夜10時に、御神体の赤米を迎える使者が受け頭の家を出発し、晴れ頭の家に行き、赤米御神体を申し受けます。午前2時になると、天井に吊された御神体の米俵が下ろされ、担ぎ役が背負って、晴れ頭を先頭に、御神体、供僧と、行列が出発します。



頭受け神事(御神体を下ろすところ)

 行列につく者も見送りの者も無言です。無言の中、古式にのっとり、歌口が祝い歌を朗々と歌い上げます。受け頭の家では、戸外に土下座して柏手を打って拝み、赤米御神体を迎えます。御神体は本座の天井に吊されます。その後、受け頭から参拝者まで、順に柏手を打って拝みます。3時頃になって直会に移り、小盃で酒盛りが始まり、大盃となり、夜明けまで酒宴が続きます。赤米神事「頭受け神事」は午前5時頃に終了します。
 このように、多久頭魂神社でも一連の赤米神事が今なお連綿と受け継がれていることは、赤米を神として敬い、後生に受け継いでいこうとする深い信仰に支えられた「頭仲間」の結束と努力に他ならないと思われます。

《次回は2月初旬掲載》


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