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法隆寺から松尾寺へ 法隆寺から松尾寺までは、中宮寺東の交差点を左に折れ、田園風景の中に住宅が点在する道のりとなる。交差点を曲がると約300メートルほど行った右手に中宮寺跡がある。創建された当時は五重塔がそびえていたと伝わる。そしてその先を約700メートル進むと法起寺がある。法起寺には現存最古の三重塔がそびえている。その風景を千数百年前という想像のフィルターをかけて見てみる。聖徳太子建立七ヵ寺として伝わる寺の内の三ヵ寺「法隆寺」「中宮寺」「法起寺」が、それぞれの「塔」を目印に、斑鳩の地を祈りの地としていたのではないだろうか。また、寧楽と難波をつなぐ要所としての斑鳩は、さまざまな人・モノ・文化が交錯し、活気に満ちていたのだろう。想像をめぐらせながら歩く。 やがて道を左に折れると、松尾山へのびる一本道となる。松尾山の山頂近くに位置する松尾寺まで法隆寺から約6キロ。松尾寺の北惣門の先には石段が待っていた。 ![]() 松尾寺北惣門 松尾寺の惣門をくぐる 惣門をくぐって最初に聞こえてくるのは細い水音である。松尾山から湧く霊水が、水面をひかえめな力で叩いている音。飲用可能のその水は、冷たく、甘く、柔らかい。近隣の人たちもポリタンク持参で汲みに来ており、その水の美味しさを口々に語る。 ![]() 松尾山の霊水 惣門から見上げると108段の石段が一直線に続く。しかしこの石段は見た目よりも歩きやすく、見上げたときに感じる重圧感に反して、実際に体にかかる負担はかなり軽いように感じられる。石段の途中に松尾水の閼伽井、そして石段を上りきったところに本堂が現われる。 大本山 松尾寺(だいほんざん まつおでら) 日本最古の厄除け霊場として名高い松尾寺の起源は、718(養老2)年に天武天皇の皇子である舎人親王(とねりしんのう)が、『日本書紀』を編纂するにあたって、『日本書紀』の完成と42歳の厄除のため建立されたことに始まる。 境内を見てみると、重要文化財の本堂には本尊である千手観世音菩薩(厄除観音)、本堂の左には三重塔、舎人親王の毛骨をまつった十三重石塔。山頂には奈良時代の遺構・遺物が出土した松尾山神社、三重塔の左には丹生(にゅう)の神が祀られていることから、神仏習合の古刹であり、松尾山を中心とした山岳信仰と修験道の地であったことがうかがえる。現在は「厄除の松尾さん」として親しまれている。 ![]() 本堂 ![]() 三重塔 松尾寺鐘(厄除の鐘) 本堂と鐘楼は、境内を挟むような位置関係となっている。本堂のご本尊である千手観世音菩薩に斜め前方から梵鐘の音をお届けするという感じである。松尾寺の梵鐘は、誰でもいつでも撞くことができるようになっている。そのため鐘楼にも立ち入りやすく、撞くための準備ができるように荷物置きの台が用意され、撞木の綱も握りやすいようになっている。 蝉時雨の中で1回、そして大雨の中で1回、松尾寺鐘を撞かせていただいたことがある。松尾寺鐘の音は、さまざまな自然の音とよく調和する。蝉時雨を背景にしても、雨音を背景にしても、それぞれの風景に溶け込んでいくようであった。 そしてもう一つその音に特徴がある。「アタリ」のすぐ後からハッキリとしたF♯(ファ♯)の響きがし、「オシ」から「オクリ」にかけて、その音がG(ソ)の音へと半音上がっていく。まるで、女性の声で発声をしているような響きなのである。低音が鳴る鐘というよりも、高音が歌うように鳴る鐘である。 ![]() ♪梵鐘の音を聴く♪ [wavファイル][AIFFファイル]504KB ![]() 松尾寺鐘 大和路を歩いて来て、最後にやっと梵鐘の音に出会った。その響きは地面を揺さぶるような音でもなく、周りを圧倒する音でもない。ふわっと地上から空中に浮かび上がるかのような響きであった。厄も身体からふわっと離れていくような気がした。 参考文献 前園実知雄、中井和夫共著「日本の古代遺跡4奈良北部」保育社(1982) 宮家準「修験道辞典」東京堂出版(1986) 中西進「万葉の大和路」ウェッジ選書(2001)
《次回、永観堂梵鐘》
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