イメージろじ[路知]
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イメージ 連載:梵鐘の響 〜鐘の音を聴くとき〜 第十回
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イメージ 吉津 晶子
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イメージ大和路を歩く1(当麻寺鐘、法隆寺鐘、松尾寺鐘)
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 大和平野の西方には古刹が多い。平野を挟んで東方には山野辺の道があり,大神神社や石上神宮という「神」の道を歩くと考えると、西方は二上山から信貴山へかけて、当麻寺や法隆寺、松尾寺、矢田寺という「仏」の道を歩くようである。今回は、大和平野の西方を、南から北へと歩いてみた。
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日本最古級鐘の一つ(当麻寺鐘)
 中将姫(ちゅうじょうひめ)伝説の残る当麻寺(當麻寺)は、二上山を背にして建ち、創建当時のまま現存するわが国唯一の東西に配置された三重塔と、観無量寿経変相図(当麻曼荼羅)で有名であるが、ここに日本最古級(白鳳期)の梵鐘があることはあまり知られていないのではないだろうか。
 仁王門をくぐった真正面に鐘楼が建っている。その先には本堂が望める。鐘楼の中をのぞくと古い鐘の特徴を見せる梵鐘が架かっている。梵鐘の音自体を聴くことはできない代わりに、何か音データや分析記録が残っていないかを調べてみたが、見つけることができなかった。二上山を背景にして、どのような音を響かせていたのかを、具体的に想像するこができないとは残念であった。
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当麻寺鐘楼
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当麻寺鐘
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当麻寺から法隆寺へ
 当麻寺から当麻寺駅(近鉄南大阪線)を越えると国道168号線である。交通量の多い道であるが、昔も多くの人々が行き交っていたのかと思うと不思議な感じである。西名阪自動車道の下をくぐり、王寺町から国道25号線に入る。途中に御座す、風神を祭るという龍田神社は、聖徳太子が法隆寺建立のために土地を探し求めていたとき、龍田明神が老人の姿となって現れ、法隆寺の守護を約束されたという伝説が残っている。ここまでの行程はおよそ16キロ、あと1キロ弱で法隆寺である。
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国宝の鐘楼の中に(法隆寺鐘)
 法隆寺へ来るといつも感じることがある。これだけの構造物を建てることへの情熱と、その情熱を支えた信仰心、そして実際に建てた工人達の力のすごさである。このことを考えると、聖徳太子が大工さん達職人の間に、太子講という民間信仰の形で残っていることが理解できるのである。
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南大門より西院伽藍を望む
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 西院伽藍は五重塔と金堂を抱え込むように、ぐるっと回廊がめぐっている。大講堂を抜けたところに、目当ての法隆寺鐘が架かっている鐘楼が青空を背景にして待っていた。
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左手が大講堂、正面が鐘楼
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法隆寺鐘
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 法隆寺鐘が撞れることはあるのかを尋ねたが、特別な法要以外は撞かないとの答えだった。やはりここでも実際の音は聴くことができなかったが、鳴っていた音を想像してみたいと思う。ここで大熊氏の調査研究データから、実際にどのような音が鳴っているのかをご紹介する。実際の研究は、基音(f1)に対する周波数比(f2以降)で表されているが、それを具体的な周波数に置き換えたものが以下の表である。
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 基音(梵鐘の基本的な音高)は妙心寺鐘とほぼ同じ「シ(B)」である。そしてその上に乗る音はそれぞれ「レ(D)」と「ソ(G)」という音で、今風に言うならば、ベースにBを用いたGコードの響きである。そこにD#という半音が響きに変化を持たせているのではないかと想像ができる。あくまでも数字の上から現れた想像上の響きであるが、何となくきれいな和音が響いていたのだなと思い、うれしくなってしまう。  また妙心寺と同じ基音を持つということは、黄鐘調(おうしきちょう)の鐘であると考えられ、古来、黄鐘調を理想とした梵鐘作りが行われていたことの一つの証明ではないかと思われる。ここにも工人達の「ものづくり」に対する情熱を見ることができるようである。
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参考文献
大熊恒靖「梵鐘の音の部分音に関する時代的変遷」日本音響学会誌54巻第2号(1998)
「古寺をゆく(35)当麻寺信貴山」小学館(2001)
中西進 「万葉の大和路」ウェッジ選書(2001)
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http://www.taimadera.org/ 当麻寺オフィシャルサイト
http://www.horyuji.or.jp/ 法隆寺オフィシャルサイト
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《次回、大和路を歩く2(厄除けの松尾寺)》
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