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「山尾庸三像」石膏原型は見事によみがえった。現在では、この石膏原型と、その原型からブロンズに鋳造された作品が東京藝術大学の美術館に収蔵されている(図1)。 著名な彫刻作家の作品に、このように直接「触れる」機会をもつことができたことは、本当に感謝の念にたえない。普段、こうした美術作品は展示ケースの中であり、手ではなく目でしっかりと「触れる」しかない。しかし実際、修復に関わり手で「触れる」ことによって、また違ったものがみえてきたことは紛れもない事実である。ラグーザという一人の偉大な芸術家の制作風景、技術、そして人柄などが次々にみえてくる。 彫刻作品はやはり「触れる」ことが大切な気がする。彫刻の要素である量感や比例、動勢などは、実際に触れることによってわかることもある。表面の地肌の凹凸、面の移り変わり、素材など様々な発見に驚かされるのだ。 ところで、大学で講義をしている私自身が、学生に対して最近思うことのひとつに、「視覚」に対して「触覚」が鈍ってきているのではないかということである。私がそう感じていることを例にあげてみたい。 木工パズルの制作で紙やすりを3種類用意した時のことである。目の粗い順に♯100、♯180、♯240と紙やすりをかけていくのだが、何人かの学生が♯100と♯180を指先で触っても区別がつかないというのだ。♯100と♯180では、指先の感触で目の粗さの違いに区別がつくはずであるが、なかなか区別がつかない学生が何人もいたのには驚きだった。学生たちは触覚でわからなくても、目で見て粒子の違いの区別がわかるという、私にとって何とも不思議な状況を目の当たりにした。やはり、バーチャルゲームが流行る現代、「視覚」が「触覚」よりも勝っているのであろうか。 そのような状況ではあるが、私は「触れる」ことの大切さをこれからも学生に伝えていきたい。そのためには、様々な素材に「触れる」機会を与えていきたい。例えば目隠しをして「視覚」に頼らない「触覚」だけの講義を取り入れてみても面白いのではないだろうか。 以前、ドガ(Edgar Degas,1834―1917)の彫刻作品を観た時、「触れる」ということを強く感じた。ドガは画家として有名であり、彼の作品には、踊り子と浴女を題材にした作品が多く、一瞬の動作を永遠化する素描力は秀逸であった。しかし、晩年は視力の衰えたことが原因となり、踊り子などを題材とした彫刻作品を残している。ここでは彫刻としての完成度をどうこう言うつもりはない。しかし、ドガの彫刻作品にはまさに絵画作品にみられる一瞬の動作などを含みつつ、「触覚」がリアルに迫ってくる勢いを感じるのである。 「触れる」ことによって、柔らかい、硬い、スベスベ、ザラザラ、チクチク、そして温かさや冷たさなど様々な体験をすることができる。これからも「触れる」ことにより、様々なものを感じていきたい。 そのような中で、ラグーザ作「山尾庸三像」の修復を通して、過去の偉大な芸術作品に「触れる」ことができたことは、私にとってこの上なく貴重な経験だったのである。 今でも、新たな彫刻作品に出くわすと、上野公園で出会った小さな男の子のあの言葉を思い出す。 「やっぱりこういうのって触ってみないとわからないよね。」
<参考資料> ・ 木村 毅 編「ラグーザお玉 自叙伝」1980 恒文社 ・ 金子一夫「近代日本美術教育の研究 明治・大正時代」1999 中央公論美術出版 ・ 高村光雲「高村光雲懐古談」1970 新人物往来社 ・ 東京国立近代美術館 編「フォンタネージ,ラグーザと明治前期の美術」1977 東京国立近代美術館 ・ 河上 眞理「ヴィンチェンツォ・ラグーザ伝の検討−マリオ・オリヴェーリ著『大理石の芸術家』を中心に−」早稲田大学 地中海研究所 オンライン版 地中海研究所紀要 第2号,pp29−43 ・ 澄川喜一、本郷 寛、矢野 真、大沼邦康「ヴィンチェンツォ・ラグーザ作『山尾庸三像』石膏原型修復とブロンズ像収蔵について」 2002 東京芸術大学美術学部紀要第37号,pp5−16 |
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