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前回“棒締頭絡”は、東アジア・東南アジアでは中国四川省、雲南省、ラオス北部、タイ北部で使われており、日本では南西諸島と北海道で使われていると紹介しました。 これらはいわゆる民俗例で、また現在のことですが、実は歴史的に日本本土でも棒締頭絡が使われていたことが分かっています。 棒締頭絡に対して、最も早い時期に注目したのは滝沢馬琴です。滝沢馬琴はご存じのように『南総里見八犬伝』や『椿説弓張月』などを書いた江戸時代の小説家です。文政八年(1825)に編まれた『兎園小説』に「ひょうし考」という題で棒締頭絡についてふれています。 馬琴は友人らに呼びかけ、毎月一回集まって各自持ち寄りの奇事異聞を記した文章を披講し、これを回覧する兎園会という会を催していました。その会の記事を集めたのが『兎園小説』です。馬琴は図1のような詳細な図面をつけて棒締頭絡について論じています。この“論文”は、単に棒締頭絡の研究としての黎明だけでなく、日本の民具研究の黎明ともいうべき論文です。「ひょうし」は松前藩、現在の北海道の南部の棒締頭絡です。
返事が“ひょうしのレプリカ”と共に返って来て、そのレプリカは、以前牧場を生業としていた者で、現在士分に取り立てられて江戸詰になっている船尾吉蔵という人に作らせた本物の“ひょうし”でした。ただし、江戸なので松前とは同じ材料が手に入らず、別の木材、縄でこしらえたということが書いてありました。問い合わせの趣旨と民具のことをよく理解した返事だと思われます。 馬琴の兎園会に参加していたなかに屋代弘賢(1758〜1841)という人がいました。屋代弘賢は幕命をうけて日本で初めての類書『古今要覧稿』を編纂した人ですが、「風俗問状」という年中行事に関するアンケートを全国の藩に発送したことで知られる人です。これは日本で初めてのアンケート調査だといわれています。この『古今要覧稿』の馬具の項に「拍子」という項目があり、「大和国陸奥国松前讃岐国等にて用」いると解説されており、「松前所用拍子」(図2)「大和国所用拍子」(図3)と二つの図が示されています。他の資料を勘案すると図2と図3は入れ替わっていると思われます。
いずれにしても、ハミを使わない馬の制御方法が日本でも、また武士の間でも行われていたことが伺われます。 <参考資料> 小島摩文「東アジアひょうし図譜」『民具マンスリー』1996,第29巻1号 図1 滝沢馬琴「ひやうし考」『兎園小説』『日本随筆大成』第二期第一回 吉川弘文館 図2、図3 屋代弘賢『古今要覧稿』第二巻 国書刊行会 図4、図5『奥民図彙』『日本農書全集』第一巻 農山漁村文化協会 図6『讃岐集古兵器図證』東京国立博物館蔵 写本マイクロフィルム
《次回は7月初旬掲載》
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