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イメージろじ[路知]
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イメージ 連載:人形よもやま話 〜日本人形の美と心〜 第二回
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イメージ 林 直輝
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イメージ博多人形いまむかし
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博多人形「鏡獅子」小島與一作
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 前回は郷土人形の生い立ちについてお話しました。九州の郷土人形の代表格といえば、やはり「博多人形」でしょう。しかし、多くの人が思い浮かべるように、博多人形は単なる郷土人形ではありません。節句人形あり、玩具あり、土産品あり、美術的な創作人形あり・・・と、それはこれまでも実に幅広い世界を展開してきたのです。
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 その発祥については諸説ありますが、今日の博多人形の直接的なルーツは、江戸後期(文化5年・1808または文政5年・1822とも)に中ノ子吉兵衛(寛政9年・1797〜安政3年・1856)が素焼に彩色を施した土人形を製作したことにあると考えられます。はじめは伏見人形の模倣だったようですが、次第に独自の作風をあらわし、弟子を養成するまでになりました。さらに吉兵衛の三男の吉三郎(天保9年・1838〜明治44年・1911)は技術に優れ、多くの原型を生み出したといわれ、幕末から明治初期にかけては博多の土人形師のほとんどが吉三郎作の原型から抜型を取り、製作したとさえ伝えられています。中ノ子型の土人形は量産可能な型抜きのしやすさと輸送時の堅牢さとを考慮して極力単純化されてはいますが、力強いフォルムと美しいディティールには、全国の郷土人形のなかでも稀にみる確かな造形力を見出すことができます。
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 九州一円から山陽、山陰、果ては北陸地方にまで販路を拡げたといわれ、庶民の節句人形として広く親しまれていた博多産の土人形に対し、意図的に近代化が図られたのは、明治20年前後のことです。維新期の混乱は旧幕時代のあらゆる文物に影響を与えましたが、節句人形も例外ではありませんでした。それは一時的とはいえ、人形を作って生計を立てていた博多の人形師たちにも何がしかの危機感を抱かせ、もはや古風な節句人形だけでは生き残れないと感じさせたとしても無理はありません。
 やがて彼らは画家に学んだり、他地方の焼物産地を訪ねたりと積極的な研鑽を重ねるとともに、その頃国内で盛んに行なわれた博覧会に作品を出品するなど、販路の拡大に努めます。博覧会で高度な工芸品と認められるためにも、全国各地への移出を成功させるためにも、相応の品質が求められるのはいうまでもありません。純粋な鑑賞に耐えうる芸術性や歴史教材などとしての実用性が問われるなか、博多の人形師たちは高い技術でそれらの要求にみごとに応えたのでした。
 とりわけ、明治30年頃から開催されたという月例の研究会に、心ある人形師たちが各自の作品を持ち寄って批評し合ったことや、当代一流の洋画家・矢田一嘯や彫刻家・山崎朝雲らの指導を仰いだことなどは、同時期の他の土人形産地ではみられない画期的な出来事であり、一郷土人形であった博多の土人形が全国的な「博多人形」へと脱皮してゆく過程の熱気が感じられます。
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 今日的な博多人形の様式が完成されたのは、およそ大正から昭和初期にかけてといわれます。土人形ならではの量産手法を背景に、手ごろで芸術性豊かな博多人形はいよいよ全国的な存在となってゆきました。その礎を築いた人形師としては、置鮎與市、川崎虎雄、小島與一、白水八郎、高尾臣縷、高尾八十二、田淵重雄、中野親夫、中ノ子タミ、原田嘉平、古野一春らが挙げられますが、なかでも小島與一(明治19年・1886〜昭和45年・1970)は人形師としての実力はもちろん、その人間的魅力から火野葦平の小説のモデルにもなり、広く知られました。現在では彼らの門下に列なる人々がそれぞれ伝統的技法を活かしながら人形作りに励んでいます。
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 一方、博多人形のルーツである中ノ子家の土人形は、吉三郎の代に観賞用の写実的な人形が主流となるに従い、次第に衰微しましたが、幸いにもその長男・市兵衛によって復活が試みられ、現在も「古型博多人形」あるいは「古博多人形」の名で製作されています。
 また、九州の郷土人形のなかには、博多の土人形の影響を受けたものが少なくありません。福津市津屋崎では江戸後期から現在に至るまで、土人形の製作が連綿と受け継がれていますが、その「津屋崎人形」には大型の武者人形をはじめとする節句人形が多く、往時の博多の土人形の面影を色濃く残し、素朴な美しさを伝えています。博多人形が近代化を遂げた後も、庶民の暮らしのなかで育まれてきた伝統文化が今なお生き続けているのは嬉しいことです。
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 明治以降、土俗的な郷土人形からの脱皮に成功したとはいえ、世の変遷は博多人形にも次なる試練をもたらしています。趣味嗜好の多様化、芸術性と市場性の両立の困難など、あらゆる伝統工芸と同じく、いま大きな岐路に立たされているのです。しかし、良き伝統を受け継ぎ、今日の生活にふさわしい新たな人形を生み出すべく、いま博多人形界では若い後継者たちも育っています。彼らの新鮮な感性がどのような人形となってあらわれるか、楽しみにしたいところです。
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津屋崎人形「内裏雛」原田誠氏作
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津屋崎人形製作風景(原田誠氏)
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博多人形製作風景(高野幸博氏)
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【参考文献】
『稿本 古博多人形史』梅林新市著 1966 郷土玩具研究会
『博多人形沿革史』博多人形沿革史編纂委員会編 2001 博多人形商工業協同組合
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《次回は12月初旬掲載》
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