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近年、古きよき時代に作られた雛人形の展覧会が全国各地で盛んに開催されるようになりました。かつての大名家や豪商などに伝来した雛人形のなかには、それが作られた時代の諸工芸の粋を集めた見事なものもあります。小さくとも本物と変わらぬ材料と技術で精巧に作られたそれらは、まさしく世界に誇りうる日本特有の美のひとつといえましょう。 ところが、同じ日本の人形でありながら、こうした人形と全く対照的な存在に「郷土人形」があります。それは素朴な、時に粗雑な出来の人形ではありますが、豪華な人形とはまた異なる深い魅力を有しています。 郷土人形とは、全国各地で古くから伝統的に作られ、庶民に親しまれてきた郷土色のある人形のことです。そのなかには、子どもたちが手にして玩ぶことを目的として作られたものや、土地の祭礼・信仰を背景に作られたものなども含まれていますが、主流を成しているのは上巳・端午の節句に飾る節句人形です。 子どもの誕生を祝い、健やかな成長と幸せを祈って節句に人形を飾ることは、江戸初期からの風習とされていますが、その時代にあって実際に節句人形を持つことができたのは、上流階級の人々に限られていたはずです。関ヶ原の合戦から半世紀足らず、泰平の時代を迎えたとはいえ、大半の庶民の生活はいまだ日常生活に必要不可欠とはいえない品々を購うほど豊かではなかったでしょうし、たとえ経済的な余裕があったとしても、様々な禁令によって庶民がこれを持つことを許されなかった事情もあります。 しかし、長らく泰平の時代が続いて幕府の統治も安定をみせ、庶民の生活にもある程度のゆとりが生まれてくると、自分たちもそのような節句飾りを持ちたいと思うようになったのでしょう。自分たちのできる範囲で、安価な材料、簡単な技法によって上流の人々が愛好する品を模したものが、いわば庶民の、庶民による、庶民のための節句人形として生み出されたのです。 良質の土が採れる土地では素焼に絵具で彩色を施す「土人形」が、反故紙を大量に入手できる土地では木型に紙を張り重ねてかたちづくる「張子人形」が、また桐箪笥の産地などではオガクズに糊を混ぜて練り固める「練人形」が作られましたが、いずれも同型品を量産することが可能な手法を用いています。 それらの発生時期は土地によって異なりますが、およそ江戸中期(西暦1700年前後)以降といえ、なかでもいち早く登場したのは京都など、上手物の人形を実際に目にする機会の多い都市部であったと思われます。古くから様々な土器が焼かれていた京都の伏見深草において土人形の元祖といわれる「伏見人形」が作られたのも、そうした地理的背景があってのことでしょう。全国から参拝者が訪れる伏見稲荷の参道で売られた伏見人形は、地元の人々に愛されただけでなく、手頃な京土産として各地に持ち帰られたり、また北前船による海上大量輸送によって、上方の様々な文物とともに都から遠い僻地にも伝えられたりして、庶民の節句に飾られたのでした。 こうして、上方下りの人形が地方でも好評を博すと、その土地の人々の間で「これは売れるからウチでも作ってみようか」ということになるのも当然の成り行きでしょう。しかしながら、立派な塑像作品のような伏見人形の原型は、誰にでも簡単に作れるものではありません。そこで地方の人々は入手した伏見人形そのものへ粘土を押し当てて雌型を取り、これを焼成した型によってそっくりそのままの土人形を作り出したのです。(このことこそ、伏見人形が土人形の元祖といわれる所以です) しかし、当初は伏見の模倣でよかった地方産の土人形も、その土地に定着するためには、地元の人々の趣味嗜好に合うものでなければなりません。その結果、形はそのままでも描彩は各地方の郷土色を帯びたものへと次第に変化してゆき、ここに郷土人形としての完成をみせたのです。需要に応え、速く、安く、大量に、見栄え良く作る必要から生まれた省略や誇張は、いつしかその地方独特の様式さえつくりあげ、作者自身の意識を離れた「結果の美」を表出したのでした。 郷土人形の題材の大多数は、節句の祝いにふさわしい内裏雛や、歴史上・伝説上の英雄豪傑、学問の神様・天神、招福を願う恵比須・大黒などですが、現代のように科学・医療の発達していない江戸時代、庶民がその切実な願いや祈りをこれらの人形に託していたことを思うとき、きわめて感慨深いものがあります。 江戸、明治、大正、昭和と常に庶民に親しまれてきた各地の郷土人形も、人々の生活がより豊かになり、かつては高嶺の花であった衣裳着人形が求めやすいものになるにつれ徐々に姿を消してゆきました。しかしながら、作る側も求める側も、あるいは贈る側も贈られる側も共に庶民であり、彼らにとって身近な存在であった郷土人形は、まさに彼ら自身のこころが具現化されたものです。その「こころ」が現代の我々のこころをも打つのであり、そこにこそ郷土人形ならではの魅力と存在意義とがあるといえましょう。 次回は、九州を代表する「博多人形」についてお話したいと思います。
《次回は11月初旬掲載》
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