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前回はシーボルトとも交流が深かった中津藩主奥平昌高(まさたか)のことを取り上げた。奥平昌高の場合、オランダ商館長の江戸参府を利用して、それに随行したシーボルトと江戸で面会を果たしたが、大名がシーボルトと面会できる土地が実はもう一つあった。長崎である。 といっても、どの大名も長崎でシーボルトに会えるわけではなかった。江戸時代、福岡藩黒田家と佐賀藩鍋島家が交代で長崎警備を勤めていたが、この二つの大名は長崎の巡見を利用してオランダ商館を訪ねることができた。今回はそのうち福岡藩主黒田斉清(なりきよ)の場合を取り上げたい。 黒田斉清は寛政7年(1795)2月6日に九代藩主斉隆(なりたか)の長男として福岡城に生まれたとされているが、斉隆が急死したため、斉隆の側室が生んだ女子を秋月藩主黒田長舒(ながのぶ)の第四子と取り替えて跡継ぎとしたという説もある。寛政10年に生後わずか9カ月にして第十代藩主となり、文化5年(1808)に14歳で元服して名乗りを長順(ながゆき)から斉清と改めた。藩政は譜代の家老が合議で行い、長崎警備については秋月藩主黒田長舒が勤めた。 生まれながらの藩主であった斉清は学問を好み、特に鳥類と本草などの博物学の研究に没頭する。驚くことにわずか4歳の時に鳥が好きになり、7歳のころより鵞(トウガン、オオトリ)を飼い、その後興味は土バト、鴿(イエバト)、鷹、隼へと広がり、数十種類の鳥類の飼育を試みている。その腕前には自信があったようで、斉清がオランダ商館を訪れた際に、鳥が飼育されている様子を見て、「日本人が鳥を飼うように細密ではない」と評したという。また、本草についても早熟だったようで、6歳の江戸参府の途次中仙道の関ケ原宿において大葉の槭樹(かえで)を見た記憶を記している。領内巡見とともに、参勤交代の途次は珍しい植物を蒐集する絶好の機会で、宿場や駕籠のなかから望遠鏡で観察したり、近くにあるものは採集してさく葉(さくよう、押し花や押し葉)にして保存したりもしている。特に斉清は梅について「予梅ヲ愛スルコト多年、啓蒙(小野蘭山『本草綱目啓蒙』)中ニ三百余品ニ成レリ、予悉ク種類ヲ集ント欲テ遂ニ八百有余品ニ成レリ」と徹底的に蒐集し、それを大きく7種類に分けて解説を加えている。 斉清はお金にいとめをつけず広大な薬園、設備が整った鳥の飼育場や鴨池、標本の貯蔵庫などを設けて、多くの西洋の書物も収集して研究につとめた。それらの施設は、単なる一大名が自らの趣味を満足させるためにつくった娯楽機関ではなく、当時の最先端の博物学研究所といってもいい体裁を整えていた。また、斉清は幕府医館で有名な本草家でもある栗本瑞見(ずいけん)、桂川甫賢(ほけん)などと交際し、自らの屋敷で研究会を開き、本草学の知識を磨いていった。こうした本草家たちとの研究交流のなかから、さらに大きな本草学の研究組織である赭鞭会(しゃべんかい)が育っていった。赭鞭会は、「神農(しんのう、中国の伝説の帝王、医薬と農耕の神様)が、赭(あか)い鞭(むち)で以って草木を薙(なぎ)倒し百草(ひゃくそう、多くの草)を嘗(な)め薬草を定めた」という中国の故事にちなみ名付けられ、格式を超えて同好の大名や旗本が多く集った。その中心メンバーの一人に富山藩主前田利保がいる。江戸時代の愛物産番付には利保と斉清が東西の大関にあげられており、二人とも大名でありながら博物学の世界では全国的にも知られる存在であったことが分かる。赭鞭会が開かれた時期、斉清は眼病のため視力をほとんど失っていたため、集会には出席できなかったようであるが、赭鞭会のメンバーと深く交流していたことは確かである。斎清は失明しながらも、かわった植物が贈られると枝や葉をさわり、香りをかぐだけでたちどころに植物の名前を言い当てたという逸話が残っている。 ところで、このように本草学や博物学に幅広い知識と教養をもっていた斉清は、文政年間にしばしば長崎出島を訪れている。平戸藩九代藩主の松浦静山は『甲子夜話』の続編に、斉清が文政11年3月5日に後継ぎの黒田長溥(ながひろ)を連れて出島に入り、シーボルトの部屋に半日ばかり滞在してシーボルトと対話したことを書き残している。また、長溥(ながひろ)自身も斉清にしたがい長崎オランダ商館を訪れ、シーボルトに会ったことについて、斉清が生まれつき植物学に親しみ、長崎巡見の際には必ずシーボルトに面会して様々な問答を行っていたと、談話を残している。そして、興味深いことにその問答については、福岡藩士の安部龍平が「下問雑載」にまとめており、その内容が現在に伝わっている。黒田斉清とシーボルト、この二人の東洋と西洋の博物学者はどのような対話を繰り広げたのであろうか。その模様は次回みていきたい。 ![]() 参考文献 福井久蔵『諸大名の学術と文芸の研究』(厚生閣、1937年) 呉秀三『シーボルト先生3 その生涯及び功業』(平凡社東洋文庫117、1968年) 平野満「天保期の本草研究会『赭鞭会』−前史と成立事情および活動の実態−」(『駿台史学』第98号、1996年)
《次回は5月上旬掲載》
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