ろじ[路知]
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連載:異国由来の名菓たち - 九州の菓子を訪ねて 第三回

橋爪伸子

丸ぼうろ

 ぼうろの起源は、ポルトガル語の「ボーロbolo」(菓子)に由来する南蛮菓子である。伝来後江戸期までのぼうろは、小麦粉と砂糖を水で練った生地をのして切形し、上下鍋(現在のオーブン)で焼いたかたい乾菓子で、卵は使われていなかった。例えば『南蛮料理書』には「ほうろ 小麦のこ壱升に白砂糖五十目、しを水にてこねうすくのへ、あつさは五分はかりにしてくるまにて切、なへにかみをしき、うへしたにひをおきやき申也」と記されている。またその種類は多く、材料や形状によって胡麻ぼうる、豆ぼうる、板ぼうる、花ぼうろ等があった。これらの乾菓子のぼうろは、現在もそばぼうろなどに継承されているが、佐賀名菓の丸ぼうろは、こしのある独特のやわらかさが特徴の焼き菓子である。小麦粉と砂糖に卵を配合した流動性のある生地を、従来のかたいぼうろ同様にのして型抜きするという工程も一つの特徴で、その原形が乾菓子だったことを示している。

 現在佐賀で代表的な丸ぼうろの製造者は、鶴屋菓子舗(佐賀市西魚町、以下鶴屋)、北島(同市白山)等が知られ、鶴屋は「丸房露」(図1)、北島は「丸芳露」(図2)と表記する。店および丸ぼうろの起源について、鶴屋は、第14代当主堤光昌氏によれば寛永16年(1639)初代善右衛門が菓子屋を創業し、代々佐賀藩御用菓子司を務めた。丸ぼうろは天和年間(1681〜1684)第2代太兵衛が長崎でオランダ人から製法を習得した。北島は、第12代当主香月道生氏によれば元禄9年(1696)数珠屋を創業し、諸式屋として佐賀藩の御用商人を務めた。丸ぼうろは、明治元年(1868)菓子屋を始めた第8代香月八郎が、同藩御用菓子司横尾市郎右衛門が寛文年間(1661〜1673)長崎でオランダ人から習った製法を伝受された。ただし香月氏によればこの時はまだ乾菓子で、現在同様のやわらかい丸ぼうろは、北島では第8代八郎と9代安次郎の研究により明治10年代の半ば完成したとされる。
 シーボルトが長崎で川原慶賀に描かせた19世紀後半の絹本彩色画「菓子屋」には、棚に「生姜漬」の壷、菓子箪笥の引出に「寒菊」、「こふさこ(口砂香)」等長崎名物と並び、「花ほふる」や「丸ほふる」、作業台には抜き型のようなものが確認できるが、この丸ぼうろは他の乾菓子とともに引出に入れられていることより、乾菓子と考えられる。

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(図1)「丸房露」(鶴屋)
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(図2)「丸芳露」(北島)
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 乾菓子からやわらかい丸ぼうろへの変容を確認できるのは、鶴屋当主堤善作による元治2〜明治19年(1865〜1886)の「諸願書御菓子日記帳」(図3)や、北島の第8代当主香月八郎による明治19年の「菓子製造法帳」(図4)に記された丸ぼうろの材料分量である。いずれも卵が加わり、その配合は粉と砂糖がおよそ同量、粉の約半量が卵で、やわらかい菓子ができる分量である。この変容以降、やわらかさの質およびその保持が佐賀の菓子製造者によって追求され、保湿剤となる副材料、配合、焼き方、製品の包装等が改良、工夫された結果、丸ぼうろは佐賀独自の菓子として完成した。
 その丸ぼうろが佐賀名菓として公認されるきっかけとしては、明治30年代からの博覧会・品評会での受賞、海軍からの注文等が考えられる。図5、図6は明治末期の北島「丸芳露」、鶴屋「マルボーロ」のレッテルであるが、ともに第2回全国菓子品評会受賞(明治35年)と書かれている。内国勧業博覧会へも明治36年(1903)の第5回、佐賀県から初めて丸ぼうろが出品された。佐賀郡春日村原口喜一の「佐嘉丸ボーロ」、佐賀市松原町横尾峯吉郎の「丸ボーロ」であった。
 また、軍艦出雲酒保から北島の香月八郎に宛てた明治38年(1905)5月8日付書簡(北島所蔵)には、評判のよい「丸房露」を兵員に試食させたところ味はよいが兵員用としては少々高いので一個5厘位の品に替えられないか等と書かれている。出雲は明治37年(1904)の日露戦争で、同年8月14日蔚山沖海戦に続き翌年5月27日(上記書簡の19日後)日本海海戦で第二艦隊第二戦隊の旗艦として活躍した。この時丸ぼうろ等の菓子が兵食に用いられたと考えられる。

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(図3)「諸願書御菓子日記帳」(鶴屋所蔵)。
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(図4)「菓子製造法帳」(北島所蔵)。
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(図5)北島「丸芳露」のレッテル
(推定明治後期、北島蔵)

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(図6)鶴屋「マルボーロ」のレッテル
(推定明治後期、個人蔵)

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 明治44年(1911)、久留米の特別大演習では、佐賀市上菓子商組合製の「佐賀丸ボーロ」が明治天皇の御買上となり、11月17日の『佐賀新聞』で報じられている。同組合は明治18年創立後研究会を開いて改良に努め、同33年第5回全国製菓勧業博覧会2等賞を初めとする受賞を重ね、丸ぼうろの生産額を伸ばした。このようにして明治40年代には丸ぼうろが佐賀名菓と公認されるようになっていた。
 その後大正初期には福岡等他県への支店出店、昭和20年代には東京の百貨店における全国名菓販売への参加等により一層知名度を上げ、同時に大量生産、県外移送に伴う改良が加えられた。例えば包装は現在ポリプロピレン製個包装であるが、北島では戦後まで1斤(30個)を重ねて硫酸紙1枚で巻き両端をねじって包み、進物用にはこれを箱詰していた。日数の経過とともに菓子が乾燥していくことを消費者も納得の上で求めていたという。
 現在の北島の「丸芳露」は、主材料は小麦粉、鶏卵、上白糖、副材料は膨化剤の重曹、生地を安定させる糯米製水飴、蜂蜜、できあがった菓子に保湿性を与えるみりんである。このうち特に重要な材料は独特の食感を決める小麦粉で、佐賀平野産地粉を主として数種類を配合し、その割合は気温、湿度等によって調整する。製造工程は、材料を混ぜ合わせた生地を室温14〜15度で2、3時間ねかせた後、打ち粉をして軽くこね、麺棒を1〜2回かけて約2cm強〜3cmの厚さにのす(図7)。生地表面に胡麻油をはけで塗り(図8)、直径5cmの真鍮製丸形抜型(図9右)ですばやく抜いて(図10)丸板(図9左)に打ち付けて型からはずし、天板に乗せる。250度の電気オーブンで5分間焼いて網上であら熱をとり、検品後包装する。
 なお、佐賀の丸ぼうろと類似の他地域の菓子、例えば大分県中津市の2枚一組の丸ぼうろ、鹿児島の「まいぶろ」等については、相互の関連性を今後検討したい。

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(図7)北島における「丸芳露」製造工程
生地を麺棒でのす

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(図8)生地表面に胡麻油を塗る
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(図9)「丸芳露」の抜き型
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(図10)生地を抜き型で抜く
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参考文献
ライデン国立民族学博物館所蔵。長崎歴史文化博物館の川原慶賀作品データベース。
「諸願書御菓子日記帳」(鶴屋所蔵)。
「菓子製造法帳」(北島所蔵)。