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イメージ いにしえの旅 : No.08

イメージ阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)
リアルな表情、鎌倉武士の気風を醸(かも)す
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イメージ阿弥陀如来像
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 死後にはどのような世界が待っているか。古今東西を問わず、これは人間にとっての永遠の問いである。この問いに対し、仏教の経典は、清らかで美しく、幸せに満ちあふれ、悟りを開いた仏の住む世界、すなわち浄土があると答えた。浄土にもいろいろあるが、もっともなじみ深いのは、この世からみて、はるか西方にある極楽浄土であろう。今回ご紹介する仏像は、その極楽浄土に住むという阿弥陀如来像である。
 腹の前で両手を組み合わせて形作る印(いん)は、阿弥陀仏が深い瞑想(めいそう)に入っていることを象徴している。造られた当初は頭髪を除く全身に金箔(きんぱく)が押し張られ、金色にまぶしく輝いていたであろう。極楽浄土への往生を願う者は、瞑想する美しい阿弥陀仏の姿かたちを心に思い浮かべて念じ、心身ともに阿弥陀仏と一体になることが求められた。この印を結ぶ阿弥陀如来像は平安時代後期に大量に造られるが、平安時代の終わりごろから別な印を結ぶ阿弥陀如来像に主役の座を譲ることになった。
 この阿弥陀如来像は、鎌倉時代に入って造られたものである。衣服の着方や垂れ方、皺(しわ)の寄り方などは写実的に表現されており、胸や腕などの肉体には強い張りが感じられる。なかでも顔はリアルで、みずみずしい。目は鋭く、頬(ほお)は引き締まり、唇をきりっと結んでいる。目が輝いているのは、目の部分をくり抜き、頭の内側からレンズ状の水晶の板をはめているからだ。この技法を玉眼(ぎよくがん)といい、平安時代の終わりごろに考案され、それ以後の仏像の一般的な技法のひとつとなった。目頭や目尻には血走りさえも描かれ、生命感があふれる。東国武士たちが主導権をにぎったこの時代には、仏像とはいえ何かより身近に感じられ、生命感あふれる人間的な表現が求められた。そこに、武士たちの気風や時代の感性をみることができよう。
 ここで仏様にはまことに失礼ながら、像を寝かせ、像の底を観察してみることにしよう。像は意外に軽い。これは頭や体のなかを一定の厚みを残して大きくくり抜き、空洞を作り出しているためだ。木の干割れを防いだり、重量を少しでも軽くするためにおこなわれる技法である。これもこのころにはすでに一般的なものである。
 注目されるのは、体内の空洞とは別に、ひざや胴体部分の裏側が地に付くところから五―八センチ程度くり抜かれていることである。これは坐(すわ)った像に限っての構造であるが、奈良・東大寺南大門の金剛力士像を造った仏師のひとりとして名高い運慶が最初に採り入れたものである。鎌倉時代前期に限ってみるならば、運慶以外では彼の弟子か孫弟子ぐらいしかまだ採り入れていない。このような構造をみせる仏像は、鎌倉や伊豆地方を中心とする関東に集中して存在する。九州では一例も確認されていない。関東での作例をながめてみると、北条氏といった鎌倉幕府草創期の有力御家人たちが造像に深くかかわっている場合が多い。この阿弥陀如来像を造った仏師の系統と、かつて伝来した地域が限定されてくる。
 一九九六(平成八)年、この像は修理された。腕など各部材の継ぎ目がゆるみ、表面に亀裂が目立っていたためである。修理の過程でゆるんでいた個所はいったん取り外された。このとき右腕を取り付けるためのほぞ穴から体内の空洞にファイバースコープを入れて観察してみたところ、ちょうどおなかの底に巻物一巻が納められていることが判明した。巻物の表面には文字が書かれていて、「多宝仏」「弥陀仏」などと断片的に読みとれた。
 おそらく、巻物のなかにはこの阿弥陀如来像を造ろうと決意した趣旨や結縁(けちえん)した人々の名前が記されているのであろう。この巻物を納めた人々の願いは、仏像の体内に作られた小さな空間を通じて、極楽浄土に住む阿弥陀仏に伝達されたにちがいない。巻物は今も体内に秘められたままである。いつ、誰が、どうしてこの阿弥陀如来像を造ったのか。本来はどこに安置されていたのか。その後どのような運命をたどってきたのか。九州ゆかりの仏像ではないが、そのようなことをさまざまに想像しながら、この生命感あふれる仏像と向き合っていただきたい。
□ キーワード □
極楽浄土
平安貴族たちの極楽浄土に対する信仰は、自らの死後往生を願う切実な私的願望そのものであった。十円玉でおなじみの宇治の平等院鳳凰(ほうおう)堂と本尊の阿弥陀如来像はその典型であり、まさにこの世での極楽浄土の再現である。一方、血で血を洗う戦乱の多かった鎌倉御家人たちにとっては、亡者が阿弥陀仏に導かれ、極楽浄土への往生が果たせるよう祈った追善的な意味合いが強い。とくに北条氏はあつく阿弥陀仏を信仰していた。
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案内人 楠井隆志(くすい・たかし)
九州国立博物館展示課技術主査
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