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イメージ いにしえの旅 : No.03

イメージ紫紙金字金光明最勝王経(ししきんじこんこうみょうさいしょうおうきょう)
国護(まも)る経典「天神御筆」伝説も
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【図1】光に浮かび上がる金色の文字
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 紫色の紙に金色(こんじき)の文字で書かれたお経は、天神様が書いたものと伝えられている。お経を納めた桐箱の蓋(ふた)には「天神御筆(おんひつ)」という墨書きがある。また、巻物になっているお経の巻末、すなわち軸と紫色の本紙をつなぐために付けられた紙に「聖廟(しようびよう)御筆」【図2】という墨書きもある。聖廟とは北野天満宮のことであり、ここでは、そこにまつられている天神様を指している。
 天神様とは、平安時代前期の公家で当代一流の学者であった菅原道真が、死後、神様としておまつりされるようになったときの名で、太宰府天満宮(福岡県太宰府市)や京都の北野天満宮を中心にして全国に信仰が広まり、数多くの天満宮が創建された。
 道真は、大臣になる家柄の出ではなかったが、学問に秀で、宇多・醍醐の両天皇に重用されて異例の栄達を遂げ、右大臣にまで登った。しかし、政界のライバルであった藤原時平の策略によって大宰府に流され、怨(うら)みをいだいたまま、その地で亡くなった。道真は死後、怨霊(おんりよう)となって時平らを若くして死に至らせたり、清涼殿(天皇の居所)に雷を落として公家たちを焼き殺したりと大暴れし、大いに恐れられた。道真の怨霊を鎮めるためにまつられたのが北野天満宮の始まりである。以後、天神様は恐ろしい神としてだけでなく慈悲深い神様として、また、学問の神様としてあつく信仰を集めている。
 さて、九州国立博物館は道真が流された大宰府の地、それも天神様をまつる太宰府天満宮の隣に二〇〇五(平成十七)年、開館。そこで天神様の書いたとされるお経を展示できるとは、誠に深いご縁が感じらる。
 実はこのお経、書かれたのは奈良時代・八世紀中ごろで、道真の生きた時代よりも前のことである。つまり「天神御筆」というのは後世に付託された伝説である。ほかにも古筆(こひつ)鑑賞のために、同類のお経を数行程度ずつ切り取ったものが、道真の手によると伝えられて「北野切(ぎれ)」などと称され、各所に所蔵されている。謹厳な楷書(かいしよ)で書かれたお経は、学問の神様の手によったとするのがふさわしかったのだろう。
 七四一(天平十三)年、聖武天皇は全国に国分(こくぶん)寺と国分尼(こくぶに)寺を建てて、国分寺の七重塔ごとに金字の「金光明最勝王経」を安置することを命じた。正倉院文書によると、金字の経典を書くための役所「写金字経所(しゃきんじきょうじょ)」が設けられ、七四六(天平十八)年には、十巻で一組のお経七十一部、全七百十巻が完成した。
 紫の紙は紫草の根で染めたもの。書いたのは写経のプロ、写経生である。写経生たちには、書いた紙数に応じて給与が支払われた。また、校生という、書いた文字を点検する役人もいて、文字の間違いが発見されたら、写経生の給与から相応分が差し引かれた。金色の罫線の間に整然と正座しているように並ぶ謹厳な楷書の文字は、写経生たちの息詰まるような緊張感の中で一字一字生み出されたのだろう。
 さらに金で書かれた文字は、そのままでは輝きがにぶい。燦然(さんぜん)と輝く金色に仕上げるには、瑩生(えいせい)と呼ばれた人たちがイノシシの牙でせっせと磨いたのである。このほか紙をすく人、紫に染める人、巻物の形に仕立てる人、罫線をひく人、軸や表紙や巻き紐(ひも)を作る人など、さまざまな人たちの合作による国家的プロジェクトの成果であった。
 今に伝えられるものは多くはないが、奈良国立博物館と高野山竜光院(和歌山県)にはそれぞれ十巻一組が完存していて、ともに国宝に指定されている。九州国博に収蔵されるお経は残念ながら一巻だけだが、それでも紫の紙に映える金色の文字たちを楽しむには十分である。
 ここに掲載した【図1】は、経文(きようもん)の中の「金光明最勝王経」の文字に光を当てて浮かび上がるように撮影したものである。経文では「本経を持する国王人民は諸天これを擁護すべし」と説いていることから、国を護(まも)るための経典としてたいへん重視された。大寺院で行われた法要の最中、薄暗いお堂の中に射し込む一筋の陽光が経文を金色に輝かせたとき、読経する僧侶の声にもひときわ力がこもったことであろう。
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【図2】巻末に墨書きされた「聖廟御筆」の文字
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【図3】参拝客でにぎわう太宰府天満宮
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□ キーワード □
国分寺
正しくは「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」といい、「金光明最勝王経」の信仰によって、国を護るために建立された寺。
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案内人 藤田励夫(ふじた・れいお)
九州国立博物館学芸部博物館科学課保存修復室長
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