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レザノフとお雛さま ![]() 一八〇五(文化二)年四月十八日午前十時、ロシア使節レザノフは、約四カ月間すごした長崎梅ヶ崎の宿舎をあとにした。福岡藩の役人がやってきて、いつでも出発できるよう船の準備が整っていることを伝えた。庭に出ると日本の役人がたくさん詰めかけ、レザノフは別れの挨拶(あいさつ)をした。そして真新しい福岡藩の船に乗り、懐かしいナジェダ号に戻った。十二時にはおよそ百艘(そう)の曳(ひ)き船がナジェダ号を高鉾湾に曳航(えいこう)した。その間、日本の小さなたくさんの船が一緒に航行していた。 これは、この時の状況を記したレザノフの『日本滞在日記』(大島幹雄訳、岩波文庫)からの引用である。ロシアのペテルブルク市立図書館に保管されていた日記は長い間、世に出ることはなかった。十年前にロシアで発表され、日本に紹介されたのはわずか五年前である。 そして、この二時間にわたるレザノフ出航を描いたのが「ロシア船長崎出航の図」である。縦一七七センチ、横四八五センチ。横幅が五メートル近くもある巨大な絵図には右端にナジェダ号、画面全体にはそれを曳く福岡藩の船の姿が大きく描かれている。画面中央の海は福岡藩の三十四艘の軍船で埋め尽くされている。レザノフが来航した当初、長崎港の警備を任されていた福岡、佐賀両藩は軍船三百七艘、兵員三万一千人を派遣しているので、この時にはかなり規模を縮小していることが分かる。この絵図は警備担当の福岡藩士が、十代藩主黒田齋清(くろだなりきよ)や江戸幕府方の長崎奉行に警備状況を知らせるために作成させたものとみられ、その福岡藩士の家に伝わっていたものである。 なぜ警備は縮小されたのだろうか。 レザノフはロシア皇帝アレクサンドル一世の官房長を務め、日本との通商を求める全権大使として派遣された。最初の日露交渉の使節はラクスマンで、漂流民大黒屋光太夫を連れて一七九二(寛政四)年、根室に入港した。このとき幕府は通商を拒否し、代わりに長崎への入港証を渡した。この入港証によってレザノフは長崎に来航したが、交渉には結局失敗している。 レザノフは長崎に来る間、同行させた石巻の漂流民から日本語を教わった。この『日本滞在日記』には長崎の人々と友好的に交流していた状況を詳しく記している。 レザノフ一行が長崎へ来航した際、船に近寄ってきた漁民たちにウオツカをごちそうすると大満足したとある。また江戸からの使者である行方(なめかた)覚左衛門と清水藤十郎が彼を訪ねた際、コーヒーを求めて二杯も飲んだという。日本人はウオツカやコーヒーが大好きだとも書いている。また、レザノフは日本の食べ物も好んだようだ。木の株に似たゴボウという根が食用であると教えられ、食べてみたが大変おいしかったと記している。 一八〇五年一月三日の夕方、一緒に来航したオランダ人のラングスドルフが自分で作った気球を上げた。気球は非常に高く上がり、日本人たちもこの実験にわれを忘れて喜び、感謝していたとある。二十五日、再度気球を上げると、気球は町を越えて飛んでいった。上空で破裂した気球が商人の屋根に落ち、驚いた主人は気球を奉行所に持ち込んだ。奉行からの使者が、風が海に向かっているときだけ、気球を飛ばすように言ってきたとある。 年末年始を長崎で過ごしたレザノフは、日本の正月、節分、雛祭(ひなまつ)りを経験した。レザノフの出会った雛祭りは、梅ヶ崎宿舎の隣に住んでいた唐船管理役人の娘おひさのためのものであった。三月四日、レザノフは宿舎の竹矢来(竹垣)の中からおひさの家を眺めていた。窓際に屏風(びようぶ)が立てられ、客が来て菓子をごちそうになっているのが見える。そして「私たちが興味をもっていることに気づいたおひさは、人形を窓のところまで持ってきてくれた」。おひさは四カ月も狭い宿舎で過ごすレザノフに、雛祭りを見せてくれた。 十九世紀の初め、国と国との交渉は失敗に終わったが、長崎では来航以来約七カ月間滞在したレザノフと人々との心温かい交流が行われていた。 □ キーワード □案内人 東昇(ひがし・のぼる) 九州国立博物館学芸部文化財課資料管理室研究員 |
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