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『 島津の国宝と篤姫の時代 』 - 東京大学史料編纂所20万点の世界 - 平成20年7月12日(土)〜8月24日(日) 特別展示室 ![]() このたび九州国立博物館において、「島津の国宝と篤姫の時代 - 東京大学史料編纂所20万点の世界 - 」と題し、東京大学史料編纂所史料を中心とする特別展を開催します。 100年を超える歴史を持つ東京大学史料編纂所は、我が国を代表する日本史研究の史料集『大日本史料』を編纂するため、明治時代から数多くの史料を収集してきました。その点数は20万点を超え、質・量ともに国内でもトップレベルの研究機関です。この東京大学史料編纂所の20万点の史料が、耐震工事に伴い、昨秋東京から福岡まで約900キロメートルの距離を輸送され、すべて九州国立博物館に預けられました。この展覧会では国宝「島津家文書」をはじめ、20万点の中から厳選した貴重な史料100点(うち国宝49点、重要文化財18点)(予定)を3つのテーマに分けて紹介します。まず国宝「島津家文書」を中心に南九州を支配した島津家、篤姫を生み出した幕末の薩摩藩と日本。次に古代以来、海外に対する交流の窓口であった九州。そして教科書にも登場する数多くの東京大学史料編纂所の名宝を展示します。 東京以外での東京大学史料編纂所の特別展は初めての開催となります。日本の「歴史」を作り上げてきた数多くの貴重な史料を、ぜひこの機会にご覧いただければ幸いです。
チケットぴあ(Pコード688-136)、ローソンチケット(Lコード83009)、JR九州の駅みどりの窓口、JR九州旅行支店、駅旅行センター、JTB、西鉄旅行、ほか主なプレイガイド .................................................................................... 九博と個人をつなぐ『ぶろぐるぽ』第7回、エントリー募集中! .................................................................................... 『 島津の国宝と篤姫の時代 』展の準備大詰めです。 [見る] .................................................................................... 『 島津の国宝と篤姫の時代 』展の準備をはじめました。 [見る] ....................................................................................
第1章 国宝島津家文書の世界 島津家に伝えられた国宝「島津家文書」は、鎌倉から江戸時代までの700年間にわたる、約1万5千点もの膨大な文書群である。現在、国宝に指定されている大名家文書は島津家と上杉家のみで、なかでも鎌倉時代から一貫して南九州一帯を支配した島津家は、質・量ともに最高の文書といえる。関ヶ原の合戦の敵中突破など武勇を誇る島津家は、朝鮮出兵(ちょうせんしゅっぺい)の際の虎狩でもその勇名をはせた。源頼朝、足利尊氏、豊臣秀吉など、時代とともに変わりゆく為政者に対して、島津家は連綿と家を守り続けた。そして幕末、島津家、薩摩藩は篤姫を13代将軍徳川家定(とくがわいえさだ)の正室とし幕府に対しての地位を上昇させ、その後明治維新には主導的役割をはたし、近代国家の礎を築いていくことになる。 □ 主な作品 都城島津家ゆかりの胴丸 ![]() 重要文化財 紺糸威紫白肩裾胴丸大袖付 (こんいとおどしむらさきしろかたすそどうまるだいそでづけ) 1領 室町時代16世紀 胴高23.0cm 都城市所蔵 胴丸(どうまる)は、胴を丸く囲み右脇で引き合わせて着る形式の甲冑(かっちゅう)。裾の草摺(くさずり)(スカート状の垂れ)が8枚に分かれ、足さばきが良いため、活動に適した鎧として、武将も多く用いた。この胴丸(どうまる)は、革と鉄で造った小さな板(小札(こざね))を紺色の組み糸でつづり合わせ(威(おど)し)、裾と袖の肩部分は紫と白の糸でアクセントを付けている。所々に島津家の家紋(かもん)である「丸に十字」の金具が打たれている。宮崎・都城島津家(北郷(ほんごう)氏)の家臣の津曲兼広(つまがりかねひろ)に、島津本家の義久(よしひさ)が贈ったとの伝来がある。 島津家700年、永久保管文書 ![]() 国宝 歴代亀鑑(れきだいきかん) 2帖 鎌倉〜南北朝時代 元暦(げんりゃく)2(1185)〜康永(こうえい)3年(1344) 44.5×64.7×6.0cm 紙本墨書 東京大学史料編纂所所蔵 島津家歴代の最重要文書であり、島津家文書を代表する手鑑(てかがみ)。歴代亀鑑には源頼朝をはじめ、北条義時、後醍醐天皇、足利尊氏、織田信長など、鎌倉から室町時代に至る将軍などの文書を収めている。本資料は島津家の初代忠久(ただひさ)に対して出された源頼朝の文書で、島津家文書の中で最も古いものである。 虎と格闘する薩摩武士、島津家の虎狩 ![]() 島津家朝鮮虎狩絵巻(しまづけちょうせんとらがりえまき) 1巻 江戸時代19世紀 42×684cm 紙本着色 九州国立博物館所蔵 16世紀末、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に行われた島津家の虎狩を描いた絵巻。文禄(ぶんろく)4年(1595)3月、島津義弘(よしひろ)、忠恒(ただつね)父子は、秀吉の命令によ釜山付近の昌原(チャンウォン)で虎狩を行い、2匹の虎を捕らえ肉や骨を秀吉に送った。加藤清正の虎狩が有名であるが、島津家の虎狩は史実に基づき、江戸時代の薩摩武士の教育に利用され、屏風や絵巻が作られた。 豊臣秀吉から送られた虎肉の礼状 ![]() 国宝 豊臣秀吉朱印状(とよとみひでよししゅいんじょう) 1通(1巻の内)安土桃山時代16世紀 47.3×64.9cm 紙本墨書 東京大学史料編纂所所蔵 南九州を制覇した島津家は九州統一を目前にして、天正15年(1587)、大軍を率いた豊臣秀吉に降伏した。それ以降、秀吉の日本統一事業に組み込まれ、太閤検地(たいこうけんち)、刀狩、朝鮮出兵等に関する多数の命令が朱印状という形で出された。本史料は文禄4年(1595)4月、朝鮮から虎の骨肉を送った島津家に対する秀吉の礼状である。 城山からながめた美しき桜島 ![]() 国宝 薩藩勝景百図(さっぱんしょうけいひゃくず) 2巻(5巻の内)江戸時代文化12年(1815) 38.5×2602.1cm他 紙本着色 東京大学史料編纂所所蔵 薩摩藩主島津重豪(しげひで)が橋口兼古に命じて作らせた薩摩藩領内の名所や旧跡などを描いた風景図。海辺編3巻、陸路編2巻に分かれ、江戸幕府に献納されたものの副本と考えられる。鹿児島城の城山から眺めた鳥瞰図で、正面に桜島、城下町には薩摩藩の支配にあった琉球の琉球館や船が描かれている。同時期『薩藩名勝志(さっぱんめいしょうし)』など、薩摩藩領内の名所図が編纂されている。 江戸時代の奄美大島の民俗、自然図鑑 ![]() 国宝 南島雑話(なんとうざつわ) 江戸時代19世紀 27.5×19.2cm、見開35.6cm 紙本墨書・淡彩 東京大学史料編纂所所蔵 薩摩藩士名越左源太時行(なごやさげんたときゆき)がまとめた奄美大島の社会、産業、民俗、自然の記録。左源太は薩摩藩主島津斉彬(なりあきら)擁立の際の騒動に巻き込まれ、嘉永(かえい)3年(1850)大島の名瀬に流罪となったが、島民と親しく交流したといわれている。幕末の奄美大島の様子が、図を交えて詳細に描かれており貴重である。本図は8月15日夜に行われる綱引きの図である。 篤姫が暮らした江戸城の大奥 ![]() 国宝 大奥向惣絵図(おおおくむきそうえず) 1鋪 江戸時代19世紀 100.2×137.0cm 紙本着色 東京大学史料編纂所所蔵 島津家に伝わる江戸城の大奥、西の丸大奥、長局(ながつぼね)の絵図。各部屋や廊下の名前が詳細に記されている。大奥とは将軍の正室や側室、子女が居住したところで、幕府の政治を行う「表」に対して「奥」と呼ばれていた。絵図が入った袋には「御城大奥惣図秘物なり」と記され、13代将軍徳川家定(とくがわいえさだ)の正室となった篤姫から島津家にもたらされたものと考えられる。 三味線の師匠=団子の売り子=篤姫 ![]() 維新前後風刺画(いしんぜんごふうしが) 3冊 江戸〜明治時代19世紀 37.4×24.8cm 紙本着色 東京大学史料編纂所所蔵 幕末から明治にかけての事件や社会を風刺した浮世絵。開国、コレラ流行、長州征討、戊辰戦争などを題材に、その当事者を全く別の話の中に描き、服の模様や格好で分かるようになっている。慶応4年(1868)の江戸城無血開城に尽力した天璋院(てんしょういん)(篤姫)も、鎌倉時代の北条政子(ほうじょうまさこ)や、三味線の師匠、団子の売り子など様々な姿で描かれている。 九州は古代以来、アジアやヨーロッパなど海外に対する窓口であった。鎌倉時代にはじめて大規模な戦争、元による蒙古襲来(もうこしゅうらい)を受け、西国武士団(さいごくぶしだん)を中心に石塁を築き防戦した。その後、元にかわって明が東アジア冊封(さくほう)体制の頂点となったが、室町時代後期、朝鮮半島や中国などで倭寇(わこう)が横行しその体制も揺らいだ。日本に一番近い朝鮮とは、朝鮮出兵による断絶をへて、江戸時代、朝鮮通信使や対馬宗家に代表される平和な時代を迎えた。江戸時代後期、日本近海へヨーロッパやアメリカが進出し、ロシアのレザノフが長崎に来航、アメリカのペリーによる琉球や浦賀への来航が続き、開国へとつながっていく。九州は常に対外交渉の窓口となり、日本の歴史に影響を与えてきた。 □ 主な作品 東アジアで戦う倭寇 ![]() 倭寇図巻(わこうずかん) 1巻 明〜清17世紀 31.5×523.0cm 絹本着色 東京大学史料編纂所所蔵 教科書にも登場する中国の明軍と戦う倭寇を描いた絵巻。倭寇は15〜16世紀、朝鮮半島や中国本土で活動した日本人を含む海賊である。中国本土の港町を襲う倭寇、城から行進する明軍、逃げまどう中国の民衆の様子が描かれている。また当時の新兵器である鉄砲を倭寇が所持しており、倭寇の姿を詳細に伝える唯一の貴重な資料である。向かって左が明軍、右が倭寇で、船による海戦を描いた場面である。 長崎に来航したレザノフ ![]() ロシア使節レザノフ来航絵巻(ロシアしせつレザノフらいこうえまき) 江戸時代19世紀 上巻40.6×876.6cm、下巻40.6×736.3cm 紙本着色 東京大学史料編纂所所蔵 文化元年(1804)9月、通商交渉のため来日したロシア使節レザノフの長崎来航を描いた絵巻。レザノフや乗組員、乗船ナジェジダ号、佐賀、福岡藩の警備の様子、長崎奉行所へ会見に向かうレザノフ一行を詳細に描いている。翌年幕府の使者遠山景晋(とおやまかげみち)より通商拒否が伝えられ、レザノフは長崎を去った。本図は長崎港の高鉾島付近に停泊するナジェジダ号と警備する佐賀、福岡藩船を描いたもの。 宗家の宝物、人形人参 ![]() 重要文化財 人形人参(ひとがたにんじん) 1点 江戸時代正徳3年(1713) 11.7×2.9×1.1cm 九州国立博物館所蔵 対馬藩宗家は、室町から江戸時代における日本と朝鮮の外交における実務と貿易を独占し、日朝関係史上重要な役割を果たした。江戸時代、この日朝貿易で最大の利益をあげたのは朝鮮人参である。正徳(しょうとく)3年(1713)、対馬藩勘定所(かんじょうじょ)の人参掛(にんじんかかり)で発見され、家臣の平田隼人(ひらたはやと)より藩主宗家に献上された。当時人の形をしたものは大変珍重され、宗家の道具帳にも「人形人参」として記されている。 国宝島津家文書のペリー肖像 ![]() 国宝 アメリカ使節ペリー他肖像(アメリカしせつほかしょうぞう) 2枚 江戸時代19世紀 28.6×44.7cm、33.9×44.2cm 紙本着色 東京大学史料編纂所所蔵 島津家文書に残るペリー、副使アダムス、ペリーの息子の肖像画。嘉永6年(1853)ペリーは上海から浦賀への航海の途中、琉球の那覇を訪れている。当時琉球を支配していた薩摩藩では他藩に比べペリー来航に関して関心が高かったものと思われる。ペリーは翌年に再び来航し、日本と日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)を結んだ後、琉球とも琉米修好条約(りゅうべいしゅうこうじょうやく)を締結した。 東京大学史料編纂所が日本の正史『大日本史料』の史料編纂を目的に1世紀にわたって収集した史料には、平安から室町時代にかけて多くの名品がある。平安時代には、教科書に登場する尾張守藤原元命(おわりのかみふじわらもとなが)の罷免を要求した文書「尾張国郡司百姓等解(おわりのくにぐんじひゃくせいとうげ)」、左大臣藤原頼長(ふじわらのよりなが)の日記「台記(たいき)」、鎌倉から南北朝時代には、当時の百科事典である「拾芥抄(しょうがいしょう)」、公家徳大寺公清(とくだいじきんきよ)の日記「徳大寺公清公記」、室町時代の公家三条西実隆(さんじょうにしさねたか)の日記「実隆公記(さねたかこうき)」など、朝廷や公家に関する史料が多い。また「たはらかさね耕作絵巻」や「落合左平次道次背旗(おちあいさへいじみちつぐせばた)」など文書以外の史料も豊富である。 □ 主な作品 南北朝時代の百科事典 ![]() 重要文化財 拾芥抄(しゅうがいしょう) 1巻 前期 南北朝時代 14世紀 30.6×800.6cm 紙本墨書 東京大学史料編纂所所蔵 いろいろな事物や事象について部門別に分けて説明した百科事典的な資料。著者は洞院公賢(とういんきんたか)で、鎌倉時代末から南北朝にかけて成立し、現存する写本の中でもっとも古い。当時の朝廷の役所である八省(はっしょう)や大内裏(だいだいり)である宮城(きゅうじょう)の図がある。 国司をやめさせろ 尾張国の声が届いた ![]() 尾張国郡司百姓等解(おわりのくにぐんじひゃくせいとうげ) 1巻 鎌倉時代 14世紀 29.2×1135cm 紙本墨書 東京大学史料編纂所所蔵 永延(えいえん)2年(988)尾張国(現愛知県西部)の郡司や百姓が、国司(こくし)の長官である尾張守(おわりのかみ)の藤原元命(ふじわらもとなが)の悪政を朝廷に訴えた文書。当時。受領(ずりょう)と呼ばれる国司は、国内の行政を任され、大きな力を持ち、私腹を肥やすものも現れた。 殿様の息子用「図解農業の基本」 ![]() たはらかさね耕作絵巻(こうさくえまき) 1巻 江戸時代17世紀 28.6×812cm 紙本着色 東京大学史料編纂所所蔵 正月から12月までの農業や稲作について描いた絵巻。室町時代末、中国の影響を受け、大名の子息に農業の様子を教えるために作られたもの。同じ系統の絵巻では描き方などからもっとも古いものである。 長篠合戦の記憶を旗に ![]() 落合左平次道次背旗(おちあいさへいじみちつぐせばた) 1幅 前期 安土桃山時代16世紀 145.0×133.0cm 絹布着色 東京大学史料編纂所所蔵 徳川家康、紀州徳川家に仕えた落合左平次道次の旗。旗に描かれている半裸の鳥居強右衛門(とりいすねえもん)は、天正3年(1575)5月、武田家と織田、徳川連合軍が戦った長篠合戦(ながしのかっせん)で活躍した武将。強右衛門は武田軍に包囲された長篠城を救うため、敵をあざむき援軍が到着することを味方に伝えたため、磔となって処刑された。落合左平次は実際にその姿を見て旗にしたという。 |
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