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開館一周年記念特別展 『海の神々』 - 捧げられた宝物 - 平成18年10月8日(日)〜11月26日(日) 特別展示室 ![]() 九州国立博物館は昨年10月の開館から1周年を迎えます。この1周年を記念した特別展「海の神々」を開催いたします。 この特別展では海の神々をテーマに取り上げます。日本は周囲を海で囲まれていますので、外国の文化は波頭を乗り越えた人々の往来によって伝えられました。航海を担ったのは海の民でした。波や風から身を守り、無事に辿り着くため、また、海の幸を願って海の神々に祈りと感謝の気持ちを捧げてきました。全国の津々浦々に祀られた神々には、絶えることなく捧げ物が供えられてきたのです。 海の神々に捧げられた宝物を一堂に集める試みは、この展覧会が初めてです。海に生きる人々が神々に寄せてきた想いを探る展覧会を目指しています。初公開される神宝類や神像を含めて、考古・工芸・彫刻・絵画・書跡など貴重な文化遺産を公開します。
1章 海から生まれた神 海人(アマ)あるいは海部(アマベ)と呼ばれた古代の海の民は、海に住む神霊を祭っていました。『古事記』・『日本書紀』(記紀)では、黄泉の国からもどったイザナギがミソギをした時にワタツミ(綿津見)神とツツノヲノ命が海から出現したといいます。ワタツミノ神は海人族の阿曇氏の氏神であり、ツツノヲノ命は住吉神とも呼ばれ、航海の守護神でもありました。 2章 海上の守り神 海の民の中からは航海を生業とする人々も現れました。記紀では宗像三女神が航海の守護神として生まれました。海上交通の要衝にある沖ノ島や厳島は、島そのものを航海の神として祀られています。また灯台のように目印となる山も信仰の対象になりました。金比羅神はその代表でしょう。また、近世には宝船の絵とともに七福神が流行ります。恵比寿は鯛を抱えた姿で親しまれる漁業の神、弁財天も水辺に祀られ、ともに福運の神と崇められています。 3章 海神の伝説 伝説でよく知られているお話しが、浦島太郎と海幸彦・山幸彦の物語でしょう。記紀によれば、ヒコホホデミノ命(山幸彦)がシオヅツノ翁の助けによって海神の宮へ赴き、海神の娘トヨタマ姫と結婚します。そこで釣針と糸や塩満瓊と塩涸瓊を手に入れて、兄のホスソリノ命(海幸彦)を降伏させたのです。シオツツノ翁はツツノヲノ命と同じ神と考えられ、神功皇后の伝説でもツツノヲノ命が助力しています。 4章 外来の神 媽祖とは、中国の沿海民から絶大な信仰を集める航海の女神です。航海中はその神像を必ず同伴して供養し、航海安全を祈りました。九州でもかつて中国人貿易商たちの活動が活発だった地域に媽祖像が伝来し、今も篤く信仰されています。 5章 海の彼方のユートピア 沖縄をはじめ南島では、海の彼方にやすらぎに満ちた楽土(ニライカナイ)があり、そこは祖先の原郷という信仰があります。沖縄ではこのニライカナイの神が、海を渡ってやってきて豊穣をもたらすと考えられています。この信仰は太平洋の島々に広がってもいます。 1章 海から生まれた神
2章 海上の守り神
3章 海神の伝説
4章 外来の神
5章 海の彼方のユートピア
[※印]全期間は展示いたしません 【重文】舞楽面(綾切)(ぶがくめん・あやぎり) 平安時代・12世紀(大阪府 住吉大社) ![]() 住吉大社では様々な節会(せちえ)や祭礼が行われ、その一つに舞楽(ぶがく)がありました。大社に伝わる舞楽面は、種類の珍しさもさることながら、多くに最古級というべき平安〜鎌倉時代の年記や、当時の名称などが記されており、基準的作例として、この分野では際だった存在です。この「綾切」は唯一の女面です。しかも「永暦二年(1161)二月二七日」「阿夜岐理(あやきり)」「住吉大神宮」などの銘から、現存最古、しかも当時の名称表記がわかるうえ、4面を完備していることが特筆されます。すぐれた彫技による優美な表情もおおいに賞されるでしょう。 江戸時代・17世紀 (東京都 サントリー美術館) (展示期間 10月31〜11月26日) ![]() 住吉大社(大阪市住吉区)の社頭と四天王寺(大阪市天王寺区)の寺域を一双に表した屏風です。いずれも大阪にあり、あつく信仰された社寺であるため、江戸時代以降に両者を組み合わせる絵画が制作されるようになりました。紅葉がみえる秋の住吉大社(左隻)では、反橋の神輿など住吉祭の活気あふれる情景が描かれます。なお、10月8日からは大阪歴史博物館蔵の「四天王寺・住吉神社図屏風」を展示します。 古墳時代〜平安時代(三重県 神島八代神社) ![]() 太平洋と伊勢湾とを繋ぐ狭い水門に位置する神島は、三島由紀夫の名作『潮騒』の舞台で知られています。その冒頭に登場する八代神社は、ワタツミを祭神とし、海上の平穏を祈る場として、多くの宝物が捧げられました。その神宝には、64面の銅鏡、2口の金銅製頭椎大刀(かぶつちたち)、1対の馬具(銅轡鏡板)と3点の紡績具などがあります。最古のものは古墳時代に遡る「画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)」と「神獣鏡」、金銅製で「頭椎の装飾を持つ大刀」の3点ですが、出土状況の詳細は分かりません。また、奉献された鏡の主体となるのは奈良〜平安時代の唐式鏡・和鏡で、「海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)」や八稜および八花鏡、円鏡といったものが見られます。今回初めて、島から全宝物が海を渡ります。 古墳時代(福岡県 宗像大社) (展示期間 10月8日〜22日) ![]() 沖ノ島は玄界灘に浮かぶ絶海の孤島で、島内の沖津宮には宗像三女神のタゴリヒメが祀られています。古来より、海上を守護する神が宿る島として重要視され、4世紀以降、数多くの宝物が献納されてきました。祭祀遺跡の発掘調査で出土した奉納品の中には、朝鮮半島や中国、西アジアから運ばれてきた工芸品も含まれています。現在は、その全てが国宝に指定されています。 そのうち「黄金の指輪」は、内径が2cm弱の大きな純金製の指輪で、中央に細かい四弁の花文で飾られ、左右に環文が続いています。韓国慶州の古墳に類例が認められることから、渡来品と考えられます。この他、「金銅製香炉」や「金銅製龍頭(こんどうせいりゅうとう)」など、多数の沖ノ島神宝が出陳されます。 平安時代・9世紀(京都府 松尾大社) ![]() 京都嵐山の松尾大社に伝わる三神像は、現存最古の神像です。このうち女神像は、宗像三女神のうちのイチキシマヒメとされています。創建者の秦氏が渡来系氏族であることから、この海上安全の女神が勧請(かんじょう)されたのでしょう。一木から彫り出され、彩色も当初のものをよく残しています。豊かな黒髪を結い上げた美しい宮廷婦人の姿ですが、表情には神威がみなぎっています。 平安時代・12世紀(広島県 厳島(いつくしま)神社) (展示期間 下記参照) ![]() 広島瀬戸内海に浮かぶ宮島。この島を御神体として拝む原始神道に厳島神社の源流があります。祭神はイチキシマヒメ、タゴリヒメ、タギツヒメの三女神で、九州の宗像大社に祀られる神々をお迎えしています。平清盛が神社の発展に尽力し、また大内義隆や毛利元就や広島藩主浅野家などが手厚く保護しました。 平家納経は、平家一門がその繁栄と極楽往生を願って書き写した法華経などの写経と、平清盛の願文(がんもん)合わせて33巻からなります。平安時代、写経に美しい装飾を施すことが流行っており、金銀の砂子(すなご)や切箔(きりはく)を散りばめた料紙(りょうし)や、優美な絵が描かれた見返しなど、装飾経の美の極みとされています。 ・平清盛願文(たいらのきよもりがんもん)1巻 (10月8日〜10月15日 1週間) 平清盛による厳島神社への篤い信仰が記されています ・普門品(ふもんほん)1巻 (10月31日〜11月12日 2週間) 観音菩薩の救済譚であり、観世音菩薩に海の安全を祈る願いが法華経の納経には込められています。 ・妙荘厳王本事品(みょうしょうごんのうほんじほん)1巻 (11月14日〜11月19日)*展示期間変更 同じく王朝貴族の深い信仰の姿が美しく表現されています。画中の甕は亀、浮き木は経巻と見なされ、妙荘厳王本事品に遭遇することは、亀が大海を漂流する浮き木に出会うほどのことと説かれているなど、海と関わりが深いものです。 ・提婆達多品(だいばだったほん)1巻 (11月21日〜11月26日)*展示期間追加 海中から現れた龍女が釈迦如来に宝珠を捧げる龍女成仏の場面など海の神様と関わりが深い。 [国宝 平家納経](厳島神社所蔵)のうち、展示作品が以下の通り変更になりました 【展示期間変更】 No.60[国宝 平家納経 妙荘厳王本事品平家納経] 11月14日〜11月26日→11月14日〜11月19日 展示終了 No.58[国宝 平家納経 提婆達多品] 11月21日〜11月26日 再展示 (ぞうずさんしゃとう・たいさいぎょうれつずびょうぶ) (室町時代・16世紀 香川県 金刀比羅宮) (展示期間10月8〜29日) ![]() 金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町)は海の守り神として信仰され、参道の長い石段とともに「こんぴらさん」の愛称でひろく参拝者に親しまれています。その往時の様子は、300年前の境内と門前町の賑わいを描いたこの「象頭山社頭・大祭行列図屏風」にうかがうことが出来ます。約1500人を描きこむ一大パノラマのなかには、大祭の神事行列、歌舞伎などの興業や沿道の商店までもが細やかに表現されています。 大正時代・20世紀 (金刀比羅神社) ![]() 難船絵馬は暴風雨や荒波のなか難航する船を描くもので、神の助けにより九死に一生を得た人々が奉納したものです。福岡県福津市在自にある金刀比羅神社は、難船絵馬が多く奉納されていることで知られています。この1922年(大正11)奉納の図は、沖合の島(玄界灘の大島)上空の御幣から神光が発せられ、島の近海で難航する11艘の船に達しています。荒波の律動と神秘的な11条の光がひときわ幻想的な作品です。 室町時代・15世紀 (愛媛県 大山〓(づみ)神社) (〓は「示」偏に「氏」と記します) (展示期間10月8〜29日) ![]() 瀬戸内海航路の要所に浮かぶ大三島に、大山〓(づみ)神社があります。もともと大山〓(づみ)神は山神ですが、海神でもあり、武神でもあり、農耕神でもありました。この神様には百済から渡来したというエピソードもありますが、瀬戸内水軍の越智氏や河野氏、それから海賊の村上氏から厚く信仰されて、多くの武具が奉納されました。胴丸とは、体の右脇あたりに甲冑の着脱箇所をもつもののことです。胴丸は乗馬して矢を射ち合うものでなく、徒歩で刀剣を斬り結ぶ戦闘に用いるものでした。もともとは下級の武士が着用するものでしたが、中世になって徒歩の戦闘が増えるにつれ、武将も身につけるようになりました。 近世19世紀(島根県 美保神社) ![]() 古来、美保神社には大名や廻船業者たちから数多くの鳴り物(楽器類)が奉納されてきました。その中には外国製の楽器も奉納されています。このオルゴールは、1864年(元治元)、松江藩の軍艦八雲丸の艦長が、長崎からの無事帰還の御礼参拝時に奉納した、日本最古の外国製オルゴールです。スイスのルクルト・フレール社製で、当時のイタリア国歌と18世紀のオペラ序曲が収録されているとのことです。小型アコーディオンである風琴は、1849年(嘉永2)、松江藩家老の朝日千助が武運長久を祈願して奉納したものです。日本最古であることはもちろん、世界的にも最古級のアコーディオンといわれています。今日でも神社への鳴り物の奉納は続けられているようです。 平安時代・9世紀(個人蔵) (展示期間10月8〜29日) ![]() 海部氏は、航海や漁撈を業とする海人部を従え、丹後の海を支配した有力豪族でした。系図には、その始祖「彦火明命(ひこほあかりのみこと)」から平安初期まで「児」の字を冠して歴代の名を上から下へと一筋に記しており、「稲荷山鉄剣銘」にも通じる系図の古態を伝えています。日本三景の一つ・天の橋立を望む籠神社の宮司家・海部氏に伝えられてきました。 室町時代 16世紀(鹿児島県 枚聞(ひらきき)神社) ![]() 鹿児島薩摩の南端に端正な円錐形の山容をみせる開聞岳。この麓に枚聞神社はあります。祭神はオオヒルメムチですが、ワタツミを祀っていた記録があります。また海幸彦と山幸彦の伝説にも縁がありますが、本作品は、まるで龍王の宮殿のみやげの玉手箱のように、全体に松梅や鶴亀をあしらった蓬莱文の蒔絵手箱で、神宝として奉納されています。内容品は化粧セットはで、散逸せずによく残っており、大変貴重な資料となっています。 鎌倉〜南北朝時代14世紀(福岡県 八幡古表(はちまんこひょう)神社) ![]() 華麗な衣装を着けて神牛にまたがるのがオキナガタラシヒメ(神功皇后)、半裸姿で神牛の手綱を引くのが妹のソラツヒメノミコトと伝えられ、いずれも八幡古表神社の祭神です。牛にまたがる神像は他に類例を見ず、異彩を放っています。ソラツヒメノミコト像は吉富町指定有形文化財です。 14〜16世紀・19世紀(鹿児島県 鹿児島神宮) ![]() 鹿児島神宮には、14〜16世紀の中国産とタイ産の陶磁器が奉納されています。薩摩の琉球貿易が活発に行われていたことを示しています。興味深いのは19世紀になって、薩摩二十八代藩主島津斉彬がこれらの焼物とそっくりの焼物をつくらせているのです。形や文様、法量など瓜二つに写している上に、1対のものは1対つくるというように、数量まで合わせているのです。製作技法に細かな違いはありますが、その技術力には目を見張ります。 江戸時代・17世紀(長崎県 興福寺) ![]() 媽祖は、中国の福建省に実在した人物とされています。航海安全や海難救護の女神です。中国人は航海にあたり、媽祖の像を必ず船内に奉安し、渡航先では居留地内の廟堂に像を移して祀りました。彼らの活動とともに媽祖信仰はアジア各地に伝播し、日本ではとくに九州沖縄地方の沿岸に媽祖像が伝わっています。いずれも、かつて中国船の寄港地や居留地だったところです。 この興福寺の「媽祖」は九龍の冕冠を戴き、豪華絢爛な鳳凰文の冠服を着け、玉座に腰掛ける、日本最大の媽祖像です。全身の金箔がきらきらと輝いており、当時長崎に居留していた江蘇・浙江・江西といった三江地方出身者の篤い信仰と豊かな財力が偲ばれます。 第二尚氏時代・17世紀末〜18世紀(沖縄県 南城市教育委員会) ![]() 斎場御嶽は、航海安全を司る岬の聖地で、古琉球期には久高島への渡島儀礼を行う王と女性最高神職・聞得大君(きこえおおきみ)の安全を祈る場の一つでした。1677年(康煕15)以降は、斎場御嶽にいて、久高の聖地を連想することによって遙拝祭祀を行う場となりました。本出土品は、この御嶽の久高島を遙拝できる三庫理(サングーイ)と呼ばれる場所に埋納されていたもので、場を鎮めるためのものと考えられます。 中国製の青磁、中国古銭、寛永通宝、鳩目銭を含むおびただしい数の古銭、純金の勾玉や厭勝銭などがあります。勾玉はこの三庫理に関係する神女の神具と考えられ、また埋納されている勾玉、青磁器、厭勝銭が同数の9点であることは祭祀的な意味を持つとの指摘もあります。 奈良または唐時代・8世紀(東京都 東京国立博物館) ![]() 銅鏡の背面に波濤(はとう)、山岳や鳥獣人物を鋳表(いあらわ)した鏡で、四方に配された山岳の間を埋めるように波濤が渦巻き、岩上に座る人や舟上に釣りする人影が配されています。意匠化された山や海は、中国の神仙思想に登場する仙境、蓬莱山(ほうらいさん)を表したものでしょうか。七三六年(天平8)、聖武天皇の后であった光明皇后が法隆寺に奉納したものと伝えられています。 |
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