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開館記念特別展「美のシリーズ」第三弾 『うるま ちゅら島 琉球』展 平成18年4月29日(土)〜6月25日(日) 特別展示室 ![]() 九州国立博物館では開館記念特別展「美のシリーズ」第3弾として『うるま ちゅら島 琉球』を開催します。「うるま」は、沖縄で「うる(珊瑚のかけら)」の「ま(間=空間)」という語源を持つ説があり、「沖縄島」をさす言葉です。「ちゅら島」は「美しい島」という意味で、皆さんには「ちゅらさん(美しい)」という言葉のほうがおなじみかもしれません。これまで「美の国」「美の十字路」という言葉のもとに、日本と中国の美術に焦点をあてた展覧会を開催しましたが、今回は日本列島の最南端に美しく浮かぶ島々の文化を取り上げます。 現在は日本のひとつの県である沖縄ですが、かつてこの島々は琉球というひとつの国であり、独自の文化を育んでいました。琉球王国は自らを「万国津梁(ばんこくしんりょう)[世界の架け橋]」とたとえたように、東アジア世界の中にあって、海を舞台に繰り広げられた多彩かつ多様な交流の歴史を持っていたのです。その独自性というのも、琉球の地理的あるいは歴史的な事情を反映して、日本や東アジア諸地域の文化の様々な要素を養分として芳醇に実ったものでした。展覧会に来ていただく方々が、作品を前に、あるいは親しみをおぼえたり、あるいはエキゾチシズムを感じたりするとすれば、こういった琉球の歴史的な背景が関係しているのでしょう。とはいえ、これはやはり独立したひとつの文化です。 アジア史的な観点から琉球を見つめることによって、われわれ自身の文化が一面的なものでなく、多面性をもっていることを改めて認識したいと思います。 日本と中国の間に位置した琉球の文化が、東アジアの激動の歴史の中で形成されつづけてきたことを、総件数150件の優れた美術品と歴史資料をとおして紹介し、来観される方々に、豊かで力強い琉球の世界への旅をお楽しみいただきたいと思います。 ............................................................. 琉球王国の栄華と歴史に触れる特別展ルポ [読む] .............................................................
1「ティーダ 琉球の太陽」 「ティーダ」とは沖縄で太陽を意味します。琉球では国王は太陽として崇められました。ここでは、琉球国支配の中心の居城であった首里城と、琉球王家(尚家)に伝わった美術品の数々を紹介します。 2「海 海上の道」 琉球は地理的あるいは歴史的な事情から、アジア各地を結ぶネットワークの中で魅力的な場所でした。小さい島ながら日中とわたりあう中で、外来文化の影響を巧みにとりこんでいった「海洋国家琉球」を、本邦初公開資料や歴史資料をとおして紹介します。 3「花々 花開く琉球文化」 琉球文化の発展は、日中の大国間にある琉球が存在していくための必然の結果でした。両大国の文化を学び、提供する献上品に磨きをかけたのです。日本や東アジア諸地域の文化の様々な要素をとりいれ醸成された、琉球士族の華やかな文化と美術を紹介します。 4「人々 シマの人々と生活」 琉球文化をになってきた人々を、絵画作品や民俗資料から見ていきます。時代とともに人々の暮らしはゆるやかに、ときには急激にかわってきました。その中でかわらないのは「いのり」や、豊作を祈願し、そして感謝する「祭り」です。ここでは、人々の生活の中にある「いのり」と「祭り」についても紹介します。。 1「ティーダ 琉球の太陽」
2「海 海上の道」
3「花々 花開く琉球文化」
4「人々 シマの人々と生活」
*期間中展示替えを行います。 *展示期間については、変更になる場合があります。 【重文】玉御冠(たまのおかんむり)(琉球王尚家伝来品) 1具 〈(冠)中国明時代(簪)第二尚氏時代 17−18世紀〉那覇市所蔵
【重文】唐御衣装(とうおいしょう)(琉球王尚家伝来品) 1領 〈第二尚氏時代 18−19世紀〉那覇市所蔵 ![]() 琉球国王の最高礼装として、重要な国家儀式などにさいし着用した冠と衣裳。歴代琉球国王は中国皇帝によって琉球国中山(ちゅうざん)王として任命され、皮弁冠(ひべんかん)・皮弁服(ひべんふく)などの冠服をあたえられた。つまり、これらの冠服は王権のシンボル的な意味を持つ特別の衣装一式であった。 冠は黒の縮緬地(ちりめんぢ)に金糸で12条の筋を縫いとり、金銀・水晶・珊瑚・翡翠・黒真珠など288個の玉石がちりばめられ、竜や火炎宝珠をあらわした簪(かんざし)をさし渡すなど、豪華絢爛な造りである。唐衣装(とういしょう)は赤茶の絹地に、五爪(ごそう)の龍や海中から嶮山が突出した「海水紅牙文(かいすいこうげもん)」、吉祥文等が織りだされている。明代には授与されていた皮弁服だが、清代に入ってからは布地のみ与えられ琉球で仕立てられた。本品も仕上げは琉球だろう。 〈第二尚氏時代 18−19世紀〉那覇市所蔵 ![]() 美御前御揃(ヌーメーウスリー)とは、琉球国王の私的な生活空間である御内原(ウーチバル)で、王家王族の祝宴のために室内飾りとしてしつらえられた3種類の酒器セット。朱塗りにして琉球の王家である尚家(しょうけ)の巴紋を沈金で表した脚付盆を3基並べ、その上に金銀の酒器、ガラス玉の瓶子(へいし)、食籠(じきろう)を並べた。酒器は金杯、銀杯洗、台付きの銀鋺一対、八角形で高脚の銀杯の大中小一対ずつから構成される。表面には打ち出しや線刻で、鳳凰や菊・牡丹・唐草などの文様を表している。器形や文様の表現から、中国・明の作とも考えられてきたが、近年の研究から琉球国内で製作されたとの見方が強く、琉球金工の水準の高さを今に伝える貴重な酒器セットである。瓶子は本体を錫製とし、ビーズ編みにしたガラス玉で包む。巴紋を編み出しており、これも王府の玉貫工(たまぬきこう)で製作されたものという。 ![]() (部分) 【重文】銅鐘(どうしょう)(万国津梁の鐘)(ばんこくしんりょうのかね) 1口 〈第二尚氏時代(尚泰久王代)1458年〉沖縄県立博物館所蔵
「琉球国は南海の勝地(しょうち)にして、三韓(さんかん)(朝鮮半島(ちょうせんはんとう))の秀(しゅう)を鍾(あつ)め、大明(だいみん)を以(もっ)て輔車(ほしゃ)(上あごと下あご)と為(な)し、日域(にちいき)(日本(にほん))を以(もっ)て唇歯(しんし)(唇と歯、親しい間柄のたとえ)と為す、…舟輯(しゅうしゅう)(ふねとかじ)を以て万国の津梁(しんりょう)(かけはし)と為し、異産至宝(いさんしほう)は十方刹(じっぽうさつ)に充満せり」。 【重文】首里城京(しゅりじょうきょう)の 内出土貿易陶磁器(うちしゅつどぼうえきとうじき)14口 〈中国明代ほか15世紀〉沖縄県立埋蔵文化財センター所蔵 ![]() 首里城跡は、東西370m、南北213m、面積46,167平方メートルの県内最大の城(グスク)である。「京の内」とは首里城の中でも、政治的な施設などが集まる重要な聖域であり、これらの陶磁器類は京の内の倉庫にあたる場所から出土している。『明實録(みんじつろく)』英宗実録、巻301の1459年4月5日の項に、王府から失火し倉庫が延焼した記録がある。陶磁器の内容から見ていくと、14世紀後半から15世紀中葉の年代が考えられ、記録に残された火災の折に廃棄された陶磁器群と考えても差し支えない。中国景徳鎮窯(けいとくちんよう)の五彩碗、紅釉水注(こうゆうすいちゅう)、青花壺(せいかつぼ)、中国竜泉窯青磁花瓶(りゅうせんようせいじかびん)や壺、ベトナム青花の瓶、タイの黒釉陶器(こくゆうとうき)、備前焼の壺など、アジア各国にわたるこれら陶磁器群は、琉球王朝の中継貿易が盛んだったさまを容易に想像させる。そして、これらアジア各国の陶磁器を京の内にて祭祀や儀式に使用したのであろう。 花鳥図(かちょうず)山口宗季(やまぐちそうき)筆 1幅 〈康煕(こうき)44年(1705)〉個人蔵 ![]() 山口宗季(やまぐちそうき)(中国名:呉師虔(ごしけん)、1672−1743)は貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)を中心に活躍した絵師。急逝(きゅうせい)した上原真知(うえはらしんち) (1666−1702)・石嶺伝莫(いしみねでんばく) (1658−1703)なきあと、琉球画壇の将来を託されて中国留学(1703−1707)を命じられ、福州(ふくしゅう) (福建省(ふっけんしょう))で孫億(そんおく) (1638−?)らに学んだ。帰国後は、国王の肖像画「御後絵(うぐい)」を任されるなど琉球絵画の第一人者となった。 山口宗季(やまぐちそうき)はとくに花鳥画を多く描いたことで知られるが、とくに本図は、留学中に描いたことがわかる唯一の作品であり、淡い彩色を生かした細やかなニュアンスをもつ清々しい表現に彼の個性がよく表れている。本展覧会では、中国留学中に描いた本図とちょうど10年後、帰国後に描いた花鳥画(大和文華館所蔵)を並べて展示することで、中国絵画を琉球でどのように受け入れ、自分のものにしていったかを見てみたい。 〈第二尚氏時代 16−17世紀〉個人蔵 ![]() 七弦琴(しちげんきん)は古琴(こきん)ともいい、古代中国で形成された歴史のある楽器である。古来より教養人のたしなむ楽器とされ、明時代の頃には、たとえ弾けなくとも教養人としてひとつは持っておくべきであった。七弦琴を琉球で製作していたのは、こうした中国趣味が琉球でも受け入れられていたのを示すのであろう。側面およびの甲面(こうめん)の縁取を黒漆塗として地文を螺鈿で表し、甲面の中央部には朱漆塗の画面を設けて、日・牡丹・桐・鳳凰を螺鈿で表す。また甲面の前方部には朱漆塗の窓をあけて、白居易の七言絶句(しちごんぜっく)『府西池(ふせいち)』の結句「春風春水一時に来る」を螺鈿で表す。 盆(ぼん) 龍文(りゅうもん) 螺鈿(らでん) 1枚 〈第二尚氏時代 17−18世紀〉 個人蔵 ![]() 幅広の縁をもつ盆。見込み中央に火炎宝珠をおき、それをめぐる二匹の五爪(ごそう)の龍のすがたを螺鈿で表す。縁には螺鈿で八双金具風(はっそうかなぐふう)の文様を表す。この類の螺鈿漆器は、中国への進貢品(しんこうひん)として、琉球王府の貝摺奉行所(かいずりぶぎょうしょ)で多く作られたもので、北京の故宮博物院にも類品が伝わっている。 ドギン 1領 〈第二尚氏時代19世紀〉東京国立博物館所蔵 ![]() ドギンとは「胴衣(どうい)」のことをいい、「カカン」という下裳(したも)とともに二部式の衣裳として着用する。琉球では、上流の婦女子の間で一般に礼装として用いられた。このドギンは祭事にノロ(神女(しんじょ))が着用したもので、琉球王府からの下賜品(かしひん)と思われる衣裳である。清朝の官服をドギン(胴衣)の形態に仕立てている。 黄金簪(おうごんかんざし) 1本 〈第二尚氏時代 16〜17世紀〉 沖縄県立博物館所蔵 ![]() 琉球王国の最高位神女(しんじょ)である聞得大君(きこえおおきみ)が重要な祭祀を行う時に用いたとされる簪(かんざし)。沖縄戦後間もない時期にアメリカに流出し、1953年に返還された。簪の半球状の部分には大輪の花のように日輪が輝き、それを取り囲むように三爪(さんそう)の双龍と雲波があらわされる。文様は全て内側から鎚起して立体的で繊細な表情に仕上げられている。このタイプの簪は、奄美大島、沖永良部島、沖縄本島北部・南部の各地に残されているが、本簪には「天」と思しき印刻がほどこされていることは特に注目すべき点。この印は王家関係のものや非常に高い水準の美術工芸品に限って印されたのである。
大綱 2本 〈現代〉宜野湾市大山区所蔵 ![]() 綱引きは世界各地で行われ、東アジアをはじめ、東南アジアから南アジア、オセアニア、極北、アフリカなどに分布している。綱引きの組分けは天と地、男と女、夏と冬のように二組に分かれて綱を引き、豊穣や豊漁などを占う。 沖縄の綱引きは、旧暦六月を中心に夏場に各地で盛んに行われている。チナムシ(熱狂的な綱好きの意)と称されるように、綱引きはシマ人の血をたぎらせ、熱狂的に導く祭りだ。沖縄の綱引きの大きな特徴は、雌雄の綱があること、そしてこの雌雄の綱をかんぬき棒で連結して引くことである。日本本土にも若干の例はあるものの、綱引きの形態では韓国の綱引きと共通している。今回展示される大山の綱は、そのカナキ(頭)の部分の装飾が美しいことで有名である。綱引きの前には「アギエー勝負」が行われるが、これは屈強な若者でしかも背の高い者が六尺棒を使い、綱をできるだけ高く揚げ、空中で雌雄のカナキを激突させる勝負である。大山の綱は特にこの時、カナキの美しさも雌雄で競われるのである。 |
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