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九州国立博物館は常設展示を文化交流展示と呼んでいる
日本列島が現在の形となり、人々がナウマンゾウなどの大型の動物を追いかけていた寒冷な時代から、温暖化によって狩猟と漁撈、ドングリなどの採集のために海や森に進出し、土器や複雑な精神文化を生み出すにいたるまでの長期の人類史の一大画期をあつかう。精巧に作られた旧石器、マジカルな文様で彩られた縄文土器、身体装飾に用いられた玉や骨製の簪、まじないのための土偶などを、アジア交流の広がりの中で位置づける。 ![]() 「細形銅矛」福岡市博多区板付田端608(板付田端遺跡)出土 ![]() 「埴輪男子」群馬県佐波郡赤堀村大字赤堀村大字下触字石山55出土 日本列島で水田稲作が開始された弥生時代、金属器の生産が始まり、倭人が東アジア世界へ登場すると国づくりのスピードは一気に加速していく。集落の首長は国の王となり、豊富な副葬品を伴って来世へと旅立った。古墳時代になると、渡来人による金工や焼物生産に大革新が生じ、乗馬の風習が伝わる。北部九州の沖ノ島は対外交渉の舞台となり、航海の無事を祈るために、きらびやかな品々が海の神に捧げられた。 ![]() 「奈良三彩壺」 中国にならって、東アジアの国々は中央集権的な政治体制を形作ってきた。日本では、その大きな役割を果たしたのが仏教と都城、そして遣唐使。シルクロードを通じて世界の品々が集まった国際都市長安との交易や知識の交流により、仏教、漢字文化、きらびやかな三彩などの新しい文化が登場した。その窓口となった遠の朝廷、大宰府に焦点を当てて、国際色豊かな文物から、世界との広い交流の展開をあとづける。 ![]() 「うんすんかるた」 ![]() 「古琉球辞令書」 港町がもっとも元気だった中世のころ、アジアの貿易商人達は自由に海を往来していた。民間の交易はかつてない活況をみせ、唐物として将軍家に愛好された美術品・工芸品以外にも、中国趣味のニューウェーブとなる新しい知識が緊密に行き交っていた。その舞台が博多であり琉球。時には、北部九州はモンゴルとの2度の激しい戦争の爪痕が、海の中にも残っている。ダイナミックな交流の時代の記憶を展示によってよみがえらせる。 ![]() 「針聞書」 ![]() 「レザノフ長崎入港図(亜露西亜船湊下図)」 大航海時代を迎えたヨーロッパ勢力の目的地のひとつが、銀の島日本。今まで見たこともない文化や知識にふれて、日本の社会や生活は大きな変革を経験する。鉄砲やキリスト教の伝来、美術品・工芸品にみる東西文化の交流、そして日本列島の4ヶ所に限られた海外交易の窓口、そして長崎で展開した中国・オランダとの貿易。やがて、自由な貿易を求めた黒船の来航によって、日本は新時代の幕開けを迎えたのである。 |
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