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イメージ 朝鮮通信使400年記念
イメージ 国際シンポジウム「アジアのなかの日朝関係史」開催報告
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*おかげさまで盛会の内に無事終了することができました ありがとうございました
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シンポジウムの記録(概要)
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イメージ 第1日 2007年12月15日(土)
イメージ 総合進行:九州国立博物館展示課長 赤司善彦
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全体テーマ「日朝関係史研究のフロンティア」
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 開会の挨拶が、九州国立博物館館長の三輪嘉六(主催者代表)、九州国立博物館振興財団理事長の鎌田迪貞氏(共催者代表)、駐福岡大韓民国総領事の金賢明氏(来賓代表)の順で行なわれた。
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● 講演1「韓国における韓日関係史研究の回顧と展望」清州大学校教授 閔徳基氏
  • 倭寇。これに関しては、倭寇を日本の「海賊」としてとらえる視点が出されている。
  • 朝鮮と日本の往来。これに関しては、「日本国王使」の往来、大蔵経の回賜、往来にともなう両国の犯罪人への対処など、その実態が深められている。
  • 壬辰倭乱。李舜臣や元均などの人物、さらに義兵将の活躍についての研究から、さらにそれを支えた幕下の人物についての研究が進んでいる。
  • 通信使。これに関しては、財政・経済問題、とりわけ、その負担についての検討が進んでいる。
  • 漂流民。これに関しては、漂流記録をつうじて、両国の漁民・商人の海上活動に焦点がおかれるようになった。
  • 史料。国史編纂委員会が「朝鮮王朝実録」をインターネットで利用できるようにしたことが大きい。
  • 研究の展望。これまでの韓日関係史研究は文化交流や相互認識に力点がおかれていたが、今後は文学・人類学・民俗学など隣接学問分野との交流を深めること、さらに貨幣・山城などを素材とした比較史の方法も必要である。
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● 講演2 「東アジアの中の近世日朝関係史」産業能率大学教授 木村直也氏
  • かつて鎖国は日本の国際的孤立状態としてとらえられていた。しかし、近来に至って、東アジア国際関係の中で日本の近世国家・社会をとらえる視点が出され、対外関係史研究は進展した。これにより、通信使・壬辰倭乱・幕末維新期の関係変化についても、精緻な研究が進んだ。これは日韓の歴史認識の相違という現代的課題を意識する場合にも有効である。
  • 東アジア各国の近代化のあり方の相違。この問題については、西洋文明をいち早く採り入れたかどうかを問題にするのでなく、中国・朝鮮は文官優位の官僚社会であり、日本の幕藩体制国家は武家社会であったことなど、近代化の母胎となった社会構造からもたらされる性格の相違としてとらえるべきである。そのために、各分野で比較史的な研究を、両国の歴史研究者が共同ですすめる必要がある。これが今後の日韓関係史研究についての課題である。
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● 報告1「薺浦倭館の過去と現在」江原道大学校教授 孫承〓氏
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1)浦所の制限と倭館の設置
  • 14世紀末、倭人の使者の往来があり、彼らはどの浦口にでも入港したが、指定された浦所に留まる。その浦所の指定と同時に倭館が設置されたかどうかは、分からない。
  • また、当初の浦所・倭館の機能と役割は十分に明らかになっていないが、15世紀に至ると、倭館にし興利倭人や使送倭人の接待と宿所の機能があり、さらに検断・課税の機能もあった。
2)薺浦土城の画定
  • 「海東諸国記」により、東莱富山浦の図、熊川薺浦の図、蔚山塩浦の図の説明。
  • ついで、薺浦の土城全貌の区画説明。
3)倭館址と倭人居住地
  • 現地調査と航空写真をふまえて、倭人居住地は槐井里をはじめとする5ヶ所以上と推定する。
  • 現在、薺浦湾はリゾート地区として開発されており、工事が進む前に体系的な調査が必要。
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◎報告1へのコメント:「薺浦から富山浦へ」中央大学杉並高等学校教諭 大西信行氏
  • 三浦の乱のあと、朝鮮は最大の貿易港であった薺浦でなく、富山浦を日本側に開港した理由などについて質した。
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● 報告2「15世紀朝鮮の日本通交における大蔵経の回賜とその意味」
イメージ九州大学大学院人文科学院専門研究員 押川信久氏
  • 大蔵経は日朝双方の紐帯的役割を果たしたもの。
  • 15世紀末の朝鮮、大蔵経印出事業は王室の仏教信仰と密接に結びついたもの。
  • 日本の使節に大蔵経を回賜する意味は自らの王権の正当性を誇示することにある。
  • 日本側から大蔵経の請求があれば、朝鮮政府は寺院に指示し収集して回賜する。
  • しかし、度重なる日本側の請求に、大蔵経の収集は困難となる。
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◎報告2へのコメント 中央大学等講師 榎本渉氏
  • 日本が欲しかった大蔵経とは、高麗版でなく、最高の権威とされる「宋・元版」ではなかったか。宋元版蔵経の代替品が高麗版であったという理解。
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● 報告3「日朝開戦前夜の対馬宗氏領国」日本学術振興会特別研究員 荒木和憲氏
  • 1587(天正15)年、秀吉が宗氏に朝鮮国王を参洛させよと命じた。
  • これに対し、宗氏は偽国王使橘康広を朝鮮に送り、秀吉があらたに日本国王となったことを告げ、祝賀使節の派遣を要求した。
  • これまでの学説史によれば、この橘康広は柚谷康広とされてきたが、立石氏であるとの説を述べた。
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◎報告3へのコメント 全北大学校副教授 韓文鍾氏
  • 立石氏と推定される人物が、1542年にはじめて日朝間の外交で活躍するようになった背景やそれまでの活動内容は何であったかなどについて、質問した。
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● 報告4「秀吉の病死風聞と壬辰倭乱」祥明大学校教授 金文子氏
  • 1598年2月頃、慶尚道梁山郡守が明経理楊鎬に急報として秀吉病死の風聞を伝え、これが朝鮮側に伝わった。しかし、これは前年10月、秀吉が大津における茶会のさい、筋痿を痛めたことがあった。それとは別に、翌年正月、釜山に在陣していた宍戸元次が兵を率いて帰国した。梁山郡守はこれを秀吉死去による帰国と早合点したものである。
  • 1598年8〜9月頃の秀吉病死風聞説。8月18日、秀吉は死去するが、その風聞が被虜人によっていち早く伝達された。慶尚左兵使成允文らは信用しなかったものの、日本側の変化を感じてはいた。一方、秀吉が朝鮮に渡り明に侵入するとの風聞もあった。このように、壬辰倭乱における情報伝達は複雑である。
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◎報告4へのコメント 九州大学教授 中野等氏
  • 金文子氏は被虜人や降倭の中には、探索・情報伝達を目的として、故意に明・朝鮮側に降る者があったという蓋然性を指摘した。
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● 報告5「倭城をめぐる交流と葛藤」東京大学教授 村井章介氏
  • 朝鮮側の攻撃に対する防禦と地域支配の拠点を目的とした文禄段階で築かれた倭城の実態を朝鮮側史料をつうじて明らかにした。そこでは、
    〔1〕倭城周辺の朝鮮農民を使役して農耕をさせていること
    〔2〕農耕をさせて貢納させていること
    〔3〕築城・造船にも動員していること
    〔4〕倭城周辺に市場を設け、食糧・物資の供給をさせていること
     などを指摘した。
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◎報告5へのコメント 江原道大学校教授 柳在春氏
  • 当初、倭軍は朝鮮の城郭を活用して防禦施設を構築したが、両国の制度上の差異により、朝鮮の城郭をそのまま利用できず、城郭を変形・補強した。この点、考古学的な調査が必要とコメントした。
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 これらの報告・コメントのあと、九州産業大学教授の長節子氏が主に日本中世・朝鮮王朝前期について、東京大学教授の鶴田啓氏が主に日本近世・朝鮮王朝後期について、以上の各報告・各コメントを踏まえて総括的なコメントを行なった。その後、九州大学教授の佐伯弘次氏および山口県立大学の准教授伊藤幸司氏の司会によって、総合討論が開かれ、各コメント・各総括コメントに対する報告者の応答などが行なわれた。
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イメージ 第2日 2007年12月16日(日)
イメージ 総合進行:九州国立博物館博物館科学課保存修復室長 藤田励夫
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全体テーマ「前近代日朝関係の友好と摩擦 - 焼物・通信使 - 」
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● セッション1「焼物にみる日朝関係史 - 交易・倭乱・お国焼 - 」
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シンポジスト
九州国立博物館企画課長 伊藤嘉章/つくば国際大学等講師 関周一氏
元共立女子大学教授 北島万次氏/九州国立博物館交流課研究員 遠藤啓介

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 このセッションでは、朝鮮前期日朝貿易史における陶磁器のあり方、その流通、九州の焼物のルーツ、中国・朝鮮と日本の焼物産業の構造的仕組みの特質などについて話し合われた。映像をふんだんに使用し、高麗・朝鮮陶磁やお国焼そのものの魅力を紹介することもできたと思われる。
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● セッション2「あたらしい近世通信使研究」
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シンポジスト
共立女子大学等講師 米谷均氏/名古屋大学教授 池内敏氏
高麗大学助教授 尹裕淑氏/早稲田大学大学院生 鈴木文氏

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 このセッションでは、近世初期の朝鮮通信使派遣にともなう対馬の偽書作成問題、近世日本人の朝鮮観、絵画史料などを使用した通信使にまつわる事件などについて話し合われた。中堅・若手研究者の注目株を集め、「文化交流」・「平和友好」一辺倒であった従来の「朝鮮通信使」像に、一矢報いる内容を示せたと考えられる。
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 閉会の挨拶が、翰林大学校研究助教授の申東珪氏、九州国立博物館振興財団専務理事の広〓(2)靖邦氏によって行なわれ、申氏は韓日関係史学会の成り立ちについて、広〓(2)靖氏は今回のイヴェント・シンポジウムの発足の経緯について説明し、盛会の内にシンポジウムは閉幕した。
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 その後、希望者を募って特集陳列見学会がもたれた。米谷均氏や遠藤啓介、九博文化財課研究員東昇、北海道大学准教授橋本雄らにより展示解説が行なわれた。シンポジウムにて取り扱われた文化財の数々について直に解説が施されたことになる。とりわけ、米谷氏は、田代和生氏とともに、現在、九州国立博物館所蔵となっている宗家旧蔵「図書」(銅印)と木印類を発見した人物であるだけに、たいへん貴重な展示説明会になったと思う。

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《文責:北島万次・橋本雄》

〓もじ

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